やり返したい、仕返ししたい、復讐したい気持ちを手放す方法
過去にひどいことを言われたり、されたりして、本当は、やり返すなんて意味のないことだと思いながら、その相手にやり返したい、仕返ししたい気持ちが今になってどんどん湧き上がってくる。
そんなこともあるかも知れません。
過去に受けたいじめのことが忘れられず、今になって、相手を憎む気持ちが強くなってきて、そして、その思いで自分も苦しくて仕方がない・・そんな方もいます。
今回は、過去に起きたことに対して、やり返したい、仕返ししたい、復讐したいという気持ちが湧き上がって自分が辛くなってしまった時にはどうしたらいいか?
また、どうやったら、そういった自分を苦しめる「やり返したいという思い」を手放すことができるか?ということについて書いてゆきたいと思います。
「本当にやり返す価値がある相手なのかどうか?」考えてみる
あまりにも度を越えているような場合や、法律に反しているような場合は、その相手も、自分で自分がやったことの責任をとらなければならないわけです。
その場合は、しかるべきところに相談する必要があります。
また、現在、例えば、いじめを受けているような場合も、しかるべきところに相談するようにしてください。
今回はそういったケースは除いた上で、話を続けてゆきたいと思います。
さて、何か、どう考えても、誰に聞いても、ひどいと思うようなことを言われたり、されたりした時は、言い返したっていいと思います。
ガツン!と言ってやったっていいと思います。
やり返してもいい。勿論、法律の範囲内で・・ということになるわけですが。
ただ、その前に、一つだけ、考えてみてもいいかも知れないことがあります。
それは、
「その相手は本当にやり返す価値のある相手なのかどうか?」
・・ということです。
これは、バカにされることや見下されることを気にしない方法とは?でも書かせていただいたことですが、
「本当にやり返す価値のある相手なのかどうか?」
・・とやり返そうとする前に考えてみてもいいかも知れません。
中には、やり返すだけの価値のない相手もいるかも知れません。
そして、どう考えても、誰に聞いても、あまりにもひどいことをしてきたり、言ってきたりする相手というのは、相手にするだけの価値がないことが多いかも知れません。
相手がもしそんな相手だった場合、相手にする必要なんてないかも知れません。
わざわざ、相手のレベルにまで自分が降りていく必要なんてないかも知れません。
そういう時は、上から、相手を見下ろしていればいいのです。
さて、そんな風に色々考えてみて、もし、仕返しをしてやりたい、復讐たいという気持ちはあるけれど、だけど、冷静になって考えてみれば、仕返しするのは、いいこととは思えない・・仕返しするだけの価値のある相手とは思えなかった場合、どうやったら、その自分の中にあるやり返したい、仕返ししたいという気持ちを捨てることができるでしょう?
ここからは、そんなことについて見てゆきたいと思います。
道端に落ちていた犬のうんこの話
以前、過去に職場で複数の人からいじめを受けていた方から、「どうしたら悔しい気持ち、やり返してやりたいと思う気持ちを捨てることができますか?」と相談していただいたことがありました。(※現在は個人的な相談はお受けしておりません)
その時、僕(筆者)はその方にこんな話をしました。
それは、「銀座まるかん」の創業者で、自己啓発に関する本を多数出版していらっしゃる斎藤一人さんが著書の中で語られていた話でした。
それを僕なりの解釈を加えて、こんな風にお伝えしました。(斎藤一人さんが著書の中で語られた実際のお話とは少し違いがあります)
ある日、楽しい旅に出かけることになりました。
友達と楽しくおしゃべりをしながら道を歩いていたら、運悪く、道端に落ちていた犬のうんこを踏んづけてしまいました。
一瞬、「えーーー!」と思って、楽しい話がとまってしまったけど、だけど、この先にあるカフェで美味しいケーキを食べる予定になっていたので、足についた犬のうんこを落として、また、歩き始めたのでした。
斎藤一人さんは、もし、その後、その犬のうんこのことばかり考えていたら、旅は楽しくなくなるよね、とおっしゃいます。
そのうんこがどんな色をしていて、どんな形で、どんなに臭かったかとか、犬のうんこのことをいくら考えたって楽しくはない。
つまり、嫌なことに焦点を当てるのではなく、楽しいことを考えて生きていきなさい、と。
職場で先ほどの方をいじめていた人達があっという間に、道端で踏んづけてしまった犬のうんこになったわけですが、その方は少し笑ってくれたようでした。
もっとも、やり返したい相手が犬のうんこになったところで、受けた傷が消えるわけではありません。
(ここで少し犬のうんこの話からは離れますが・・)
ただ、少しづつでも、自分なりに、視点を変えてゆくこと、起こったことへの解釈を変えてゆこうとすることは大事なことかも知れません。
これから、たくさん笑って過ごしてゆくためにも、です。
抑圧したらダメ
さて、やり返したい、仕返ししたいという気持ちを捨てようと思った場合ですが、その思いが心に既にある場合は、心の中に荷物がたまっているような状態です。
この心にたまる荷物は実は、何もしないとずっとそこに残り続けます。
ですので、荷物がたまったら、その都度捨ててあげる必要があります。
ストレスなども心の荷物になります。
さて、どうやって心の荷物を捨てたらいいか?ということですが、しっかりした信頼関係のある人に話を聞いてもらうのも一つの方法かも知れません。
「話す」ことは、「離す」ことと言われることもありますが、話をすることで、その自分の中にあるものを手放せることもあります。
ただ、話を聞いてもらう相手にも負担がかかることもあります。
犬のうんこの話は、話す方も、聞く方にとっても、楽しいことではないこともあります。
そういうことを考えると、心の荷物を捨てる一番の方法は、「運動」かなと思います。
心にたまったストレスのようなものは、汗となって流れ出てくるようです。
だから、運動して沢山汗をかいた後は、悩んでいたことが、どうでもよく思えてくることもあります。
そうでもまた、過去のことを思い出してしまって、嫌な気持ちが心にたまっていったら、また、同じように運動をして心に生まれたストレスを捨てます。
これはとても大事なことで、というのも、仕返ししたい気持ちを捨てるためには、そんな風にして、ストレス(もしくは心にたまった荷物)を捨てることで生まれる心の余裕が必要になってくるためです。
仕返ししたい気持ちを手放すには?
仕返しをしたいという心理について、事業家で講演家の野澤卓央さんは、こんな風に語っていらっしゃいます。
「仕返しをしたい気持ちの深層にあるのは、相手を傷つけたいわけでも、罰を与えたいわけでも、腹いせでもなく、相手と同じ想いを分かち合い、よりよい関係を築きたいという想い」出典:https://hallom.jp/3335
仕返しをしたいという思いの奥には、そんな風にして、色々な思いがあるのかも知れません。
これもその中の一つになるかと思いますが、仕返しをしたい、復讐したいという気持ちの奥には、「わからせてやりたい」「わかってもらいたい」という気持ちがある場合もあります。
自分がどんなに辛い思いをしたかを「わかってもらいたい」。
その気持ちが仕返ししたい、復讐したいという気持ちの奥にあって、だから、仕返ししたい気持ちを手放すには、この「わかってもらいたい」「わからせてやりたい」という気持ちを捨てる必要があるかも知れません。
「わかってもらいたい」と思っている限りは、仕返ししたいという気持ちもなかなか捨てられないかも知れません。
ただ、わかってもらいたいという気持ちを捨てて、相手は「わかってくれない」のだと、そう思うことができると、仕返ししたい、やり返したいという気持ちも同時に手放せるようになることもあります。
ただ、自分がどんなに辛い思いをしたかをわからせたい、わかってもらいたいという気持ちを捨てるのは非常に難しいものだと思います。
それが辛ければ辛い経験だったほど・・その思いを手放すのは難しいわけです。
そんな時はどうしたらいいでしょうか?
納得できないから、手放せない
自分がどんなに辛い思いをしたかをわからせたい、わかってもらいたいという気持ちを捨てるのが難しい理由の1つは、「納得できていないから」かも知れません。
自分がされたことが、例えば、不条理なことだったりすると、納得ができないわけで、納得できないからこそ、「わからせてやりたい」気持ちを手放すことが難しいわけです。
そんな時はどうしたらいいか?ということですが、自分なりに、納得のゆく答えを出そうとしてみるのも一つの方法かも知れません。
ただ、自分が一方的に被害を受けたような場合は、そもそも納得のゆく理由なんてものは存在しないわけです。
だけど、それでも、自分が納得ゆく答えを自分で出そうとしてみます。
それは自分が納得できるものなら、何でもいいと思います。
少し、仕返しをしたいという話からは外れますが・・
例えば、僕自身は、到底、納得のゆかないようなもの、答えのない悩みにぶつかった時、これは夢物語だと思っていただければ幸いですが、人は自分の人生を自分で設計して生まれてくる・・という話を思い出します。
スピリチュアルな世界では、そんな風に言われることがあって、僕自身、自分の色々な体験から、恐らくそれは間違いないのだろうなと、思っています。
自分の人生に何故、困難や苦難を盛り込むのか・・ということですが、それはどうも、自分が成長するため、のようです。
そういうことを思うと、大きな苦難や困難を乗り越える力が少し、湧いてきます。
ただこれはあくまでも筆者自身の話。
大事なのは、自分が納得のゆく答えを見つけるということです。
時間はかかっても、自分なりの納得のゆく答えが少しでも出た時、「わからせてやりたい」「わかってもらいたい」という気持ちも薄れてゆくことがあります。
さて、ここまでやり返したい、仕返ししたい気持ちを手放すためにできることについて色々と見てきました。
仕返ししたい、復讐したい気持ちを手放すということは、誰かや何かのせいにしない、ということでもあるかも知れません。
それを心理学の世界では「引き受け」と言います。
もっと具体的に言うと、「引き受け」とは、どんなことであっても、それを自分の人生の一部として「引き受け」、そして、それを自分の成長に結び付けてゆこうとする心の姿勢のことです。
人生は誰も無傷では生きられないかも知れません。
納得のゆかないことも結構起こったりします。
ただ、そういうことも、自分の成長につなげてゆこうと思ってみると、何かまた、その納得のゆかないことへの感じ方が変わってくることもあるのではないかなと、思います。