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親を許せない時は許さなくていい理由。無理をして親を許そうとした人達はその後どうなったか?

こんにちは。おかしな幸福論のモリです。

親に何か信じられないことをされたり、言われたりして、許せない。

そして、その許せない気持ちでいっぱいになってしまって、苦しい。

そんなこともあるかも知れません。

そんな時、ふと、「許した方がいいのかな?」と思うことってあると思うんですね。

ただ、頑張って親を許そうとした結果、最後にはメンタル疾患になってしまう人もいたりします。

今回は、何故、親を許せない時は許そうとしなくていいのか?

どうしたら今の気持ちから抜け出すことができるか?

ということについて見ていきたいと思います。

親であっても、許せないなら許す必要はない

どんなことをされたとしても、親なんだから、育ててくれたんだから、感謝しないといけない。

そう思って、自分の心の中にある許せない気持ちにふたをして、何とか頑張って親を許そうとしている。

そんな人もいるかも知れません。

ただ、そんな風にして、親のために自分の気持ちを押し殺すことや自分を犠牲にすることで、心の傷がむしろ広がって、最後にはメンタル疾患になってしまう人も実は多いんですね。

もし、相手が他人だったら、自分を犠牲にしてまで相手を許そうとすることはないと思うんです。

だけど、相手が親だから、育ててくれたという思いや、産んでくれたという思いがあるから、許そうとするものだと思います。

また、あんなことをされても、それでも許そうとするところを見て、親も自分が間違っていたことに気付いてくれるのではないか?いつか自分が間違っていることに気付いて、謝ってくれるのではないかという思いもあったりして、だから、許そうとする。

そんなこともあると思うんですね。

それに、許すことが心の癒しにつながると、そう信じられていたりもして。

実際、僕自身も心理の勉強をはじめたばかりの頃は特に、許すことが心の傷を癒すことになると、そう信じていました。

ただ、それは許したいと心から思っている場合であって、自分の気持ちを置き去りにして許そうとしたり、自分の気持ちを抑圧して許そうとすることは、むしろ心の傷を広げてしまうことになるということに、その後、気付きました。

ところで、「毒親」という言葉のもとになった本、「毒になる親 一生苦しむ子供」の著者、スーザン・フォワードは著書の中で、自身のカウンセラーとしての経験について語っています。

スーザン・フォワードは親からひどい虐待を受けた人達のカウンセリングを始めた当初、自分を傷つけた親を許すことが心の癒しにはもっとも大切なことだと思っていて、クライアントに対しても、親を許すようにと伝えていたそうです。

そして、親を許したと思った時はクライアント自身、心がすっきりしたと、そう感じたそうなんですね。

ただ、それは一時的なことだった。

彼女がその後、しだいに発見していったことがあって、それは何かと言うと、親を許したと語ったクライアント達の心の傷が、その後、少しも癒えていなかった・・ということでした。

親を許そうとしたクライアント達は、親を許そうとした後、または許した後も、同じように苦しんでいたんですね。

むしろ、許そうとしたことで、さらに苦しみが増してしまった人や、許したはずなのに怒りや許せない気持ちが湧いてきて、自分の許し方が足りないと自分を責める人が出てきた。

それを目の当たりにしたスーザン・フォワードは長い年月をかけて、「許す」という概念について研究を続けました。

そして、最終的に「許さないといけないから許す」という考え方は、傷ついた心の回復にはつながらず、むしろ、その妨げになることに気付いたそうです。

スーザン・フォワードは「許さないといけないからという理由で無理やり許そうとするのは、自分をだましているだけだ」と、そして、前向きな人生を送るために「必ずしも親を許そうとする必要はない」とそう語っています。

許したいと心から思って許すことは、僕は素晴らしいことだと思います。

でももし、そうは思えていないのなら、許そうとする必要はないかもしれません。

先ほどのスーザン・フォワードの話もそうですが、自分の気持ちに嘘をついて許そうとしても、それは結局は自分を苦しめてしまうことになるからです。

許しが癒しにならないなら、何が心を癒してくれるのか?

無理に許そうとしても、それは心の癒しにはつながらず、むしろ、その妨げになる。

もし、そうだとしたら、何をすれば、傷ついた心は癒えてゆくのでしょうか?

そのために大事なことは、無理に許そうとしたり、無理に自分の気持ちを抑え込もうとしたり、その気持ちを無理に消そうとしたりすることではなく、その気持ちをあるがままに認めるということだと思います

自分の中に許せないという気持ちがあるのであれば、その気持ちをあるがままに認めること、だと思います。

許せない気持ちがあるのに許そうとすることは、自分の気持ちにふたをしているということで、それは言い換えると、自分の気持ちを無視しているんですね

そういうことをすればするほど、自分はどんどん苦しくなってしまったりします。

ただ、自分の気持ちを認めるということは、自分の気持ちを自分で受け止めているわけですね。

例えば、何か苦しいことがあって、友達にその話をした時。

その自分の気持ちを否定されたり、または無視されるようなことを言われると、すごく残念な気持ちなったりします。

ただ、反対にその気持ちを受け止めてもらえると、心がすごく楽になったりします。

これと一緒なんですね。

自分の気持ちを無視して、許そうとするのではなく、ただ、あるがままに今の気持ちを認めることは、その気持ちを受け止めるということで、それは先ほどの自分の気持ちを受け止めて、癒してくれた友達のように、自分の心を癒してくれます。

心を癒すためには、無理に許そうとする必要は本当はなくて、ただ、自分の気持ちを認めてみるだけ、受け止めてみるだけでもいいんです。

もっと自由に生きてもいい

少し話が変わりますが、家族なんだから「こうしなければならない」。

そんな思いに縛られてしまうことがあったりします。

僕自身、親との葛藤があって、長年、その思いを抱えてきました。心のどこかで、血のつながった親子なんだから、という思いがあったんですね。

ただ、その「ねばならない」という思いが苦しみを生んでいたのかも知れません。

今は、もっと自由な生き方があってもいいと思っています。

親子なんだからという理由でそこに執着して、お互いにいがみ合うようであれば、そんな「こうしなければならない」という思いは手放してしまった方がいいのかも知れない。

今はそんな風に思っています。

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。