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友達と疎遠になって悲しい時の4つの対処法

学生時代の友達と疎遠になってしまった・・・という悩みは案外多いものだと思うんです。

親しくしていた友人の結婚を機に疎遠になった、子供ができてからメールもこなくなった、友人の仕事が忙しくなって連絡がなくなった・・etc.。

そんな時はやっぱり悲しいし、寂しい気持ちになったりします。

でもそのままでは自分も前に進めなくて・・。そんな時に心が楽になる方法を今回は考えてみたいと思います。

1.物理的な距離よりも心の距離

親友とは、ずっと一緒にいるから親友でいられる・・・ということではないのかも、知れません。

確かにすぐ近くにいてくれて頻繁に会えたら、そんなに良いことはないと思うんです・・・でも、どうしても人にはそれぞれのライフステージがあって、離れてしまう、疎遠になってしまうこともあって・・。

そんな時に大切にしたいのはそういった物理的な距離であったり、一緒に過ごす時間というよりも、心の距離なのかも知れません。

離れていても、「どうしてるかな?」と相手を思う気持ちがあれば、実際には会えなくても心の距離は離れることはないと・・・思います。

そして、心の距離が近ければ、きっとまた二人のライフステージが重なって会えるようになった時に、また同じような関係でいられると思うんです。

2.寂しさは相手のことを思えば薄れてゆく

僕の友人の一人は結婚した後に2人の子供が生まれました。彼は仕事も忙しいし、子供の世話にも忙しくなりました。

だから、それまでは何でもないようなメール、「何してる?」とか「元気か?」みたいなメールのやり取りをしていたのですが、彼からはそういうメールもこなくなりました。メールの返信の時も以前よりも手短に送ってくるようになりました。

以前は毎週一緒にお酒を飲んで語ったりしていたんです。

そういうことも彼が結婚して、子供が生まれてからはすべてが変わりました。

最初はやっぱり寂しかったです。友達とこうやって疎遠になってゆくことが。そして、どうしても奥さんや子供を優先しなければならないことが。

でも、相手の気持ちになった時、これはむしろ喜ばしいことじゃないか・・・と思えるようになったんです。好きな人と結婚して、かわいい子供が2人もいて。マイホームもあって・・・という彼の今を考えた場合、それは幸せなことだなぁ・・と。

僕が寂しいと思っていた時、僕は自分のことしか考えていなかった。だから寂しかったのかも知れません。相手のことを思った時、その寂しさは不思議な位、すうっと消えてゆきました。

3.大人の付き合い

学生の頃は100%の気持ちでお互いにぶつかってゆくこともできたりします。お互い立場も同じだし、養う家族もいなければ、仕事があるわけでもない。

でも社会人になるとそうはいきません・・。毎日のようになんて会えないし、学生の頃は考えられなかったような特別な事情が出てきて、友達に連絡できなくなったり、疎遠になってしまうことがよくあります。

学生の頃のように大人になっても付き合おう・・・それは残念ながら、もうできないこと・・・なんですね。

大人の付き合い方とは、割り切った付き合い方なのかも知れません。

相手の事情も考えて付き合う、自分も無理はしない。相手と100%の気持ちで付き合うのではなくて、60%程度で止めておく・・・それも大人になってからは長く付き合ってゆく上で大切なことなのかも、知れません。

もっと話したい、もっと会いたい、もっとメールしてほしい・・・その気持ちは100%で相手と付き合おうとしているからかも知れません。でも腹6分の付き合いであれば、メールがこなくても・・・そうだな、相手も忙しいのかも知れない。そっとしておいてあげよう・・・と思えるかも知れません。

冷たいようですが、それが大人になってからお互いの関係を長続きさせる秘訣なのだと・・・思ったんです。

4.人生は常に変化している

人生のライフステージというか、まわりの環境はどんどん変化してゆくものだと思います。

人も実は同じように見えて少しづつ変化してゆくと思うんです。まわりにも影響を受けるし、経験がその人を変えたりします。そういう微妙な変化にお互い気づかないでいると、例えば、昔の親友に会った時に少しづつ違和感を感じてしまい、何だか寂しい気持ちになります。

でも人は変わってゆく生き物なんですね・・。それは悲しいことでもあるけど、成長するということであるのであれば、それは嬉しいことでもあって。

しかしながら、昔と同じように・・・というのは変化してゆく人のある意味宿命を考えると、本当の意味では難しいのかも知れません。諸行無常・・・すべては変化してゆくもので、それは誰にも止められなくて。

でもそういうことがわかっているから、今目の前にいてくれる人に思いやりを持って接することができるのかも、知れません。