自分のしたいことがわからない、見つからない時はどうしたらいいか?
自分のしたいことがわからない。
そんなこともあるかも知れません。
ただ漠然とこれだと思えるもの、自分が心からしたいと思えることを見つけたいと思っていたり。
今にそんなに大きな不満はないけれど、自分が本当にしたいことをやっているようには思えなかったり。
そんな時に、自分がしたいことを見つける方法について、今回は見てゆきたいと思います。
また、記事の最後では、今の自分がやっていることに対して、大きな不満はないけど、もっと別にしたいことがあるのではないかと思った時はどうしたらいいか?ということについても考えてみたいと思います。
目次
- 夢が叶った時の気持ちから、したいことを見つける方法
- 何をしたいのだろうと考えても、答えが見つからない時は?
- ネットの時代になってしたいことが見つからなくなってしまった理由
- 自分が本当にしたいことは、後になって気づくもの
- もっと別にしたいことがあるのではないかと思ったら
夢が叶った時の気持ちから、したいことを見つける方法
メンタリング・コーチの鈴木真奈美さんという方がいらっしゃいますが、その鈴木さんは自身の著書の中で、自分がしたいことを見つける方法の一つとして、制限を取り払って考えてみるという方法を紹介されています。
その方法を僕なりの解釈にはなりますが、少し詳しくご紹介したいと思います。
まず、1)もし、何も自分を制限するものがなかったとして、願ったものが今、叶うとしたらどんな夢を叶えたいか?と考えてみます。
これは現実的な夢ではなくて、非現実的な夢でも大丈夫です。とにかく制限するものが何もないと仮定して考えてみます。
次に、2)その夢が叶った時、どんな気持ちになるだろうか?と考えてみます。
例えば、1)の夢が(現実的でも非現実的でもOK)、
- 医者になって人を助ける
- 海の見える家で暮らす
- その家で家族や友人達と楽しい時間を過ごす
- 家庭菜園をする
・・・ということだったとします。
次の2)それが叶った時にどう思うか?ということですが、こんな風な気持ちになるだろうと思ったとします。
- 医者になって人を助けることで「喜ばれて嬉しい気持ちになる」
- 海を眺めて「爽快な気持ちになれる」
- 家族や友人達と楽しい時間を過ごすことで「つながりを感じることができる」
- 家庭菜園をすることで「何かを育てている気持ちになれる」
この場合ですが、自分が求めているのは、
- 人に喜ばれたい
- 爽快な気持ち、気分になりたい
- つながりを感じたい
- 何かを育てたい
・・ということになるかも知れません。
この自分が求めている中に、自分がやりたいこと、したいことのヒントが隠れています。
そんなことをヒントにして、やりたいことややってみてもいいかもと思うことが見つかるかどうか、実際に考えてみたいと思います。
人に喜ばれたい
この場合、実際に医者になることを目指すのもいいですし、それが非現実的な夢だと思った場合でも、自分が求めている「人に喜ばれたい」という思いを満たす手段は他にもあるかも知れません。
人に喜ばれる、例えば、今の仕事の中で、人に喜ばれるためにできることがあるか?と考えていってもいいかも知れません。
または、今の仕事が自分がやりたい仕事ではない場合は、人に喜ばれたい(このケースでは)という自分の気持ちを満たす仕事は医師の他にもあるかも知れないわけで、そういった仕事を探してみるのもいいかも知れません。
また、お金を得ない形、もしくは自分の天職として、何か人に喜んでもらえるために自分ができることはあるか?と考えてみてもいいかも知れませんし。
何をしたいか?と考えても答えが出ないような時は、こんな風にして、自分の気持ちからまず探っていって、自分は何を嬉しいと思うのだろう?と考えてみると、その後で、その気持ちになるために何をしたらいいか?ということであったり、自分がしたいことが見つかってゆくかも知れません。
爽快な気持ち、気分になりたい
この場合は、実際に海の見える家に住むという夢のために仕事を頑張るのもいいかも知れませんし、または、爽快な気持ちになれる手段は他にもあるかも知れません。
例えば、ランニングをはじめる。(体を動かして、汗をかくことで爽快な気持ちになれる)
または、バイクの免許をとって、バイクに乗るでもいいですし、爽快な気持ちになれる場所へ旅に出るでもいいですし。
こんな風に爽快な気持ちになれるものや何かを探してゆくことで、やりたいことが見つかるかも知れません。
つながりを感じたい
この場合も、例えば、仕事のペースを少し落として、家族や友人達との時間を作ってみてもいいかも知れませんし・・
または、例えば、友人達も今は忙しい時期でつながりを感じられないというような場合であれば、他にもつながりを感じる手段はあるかも知れません。
例えば、自分から何かを発信してみるのもいいかも知れません。
または、つながりを感じられない寂しさがあるような場合は、それを何かに生かしてみる、例えば、自分から出会いを求めてみるのもいいかも知れません。
自分から出会いを求めるのはとても勇気のいることだったりしますが、寂しさという感情は自分にその勇気を与えてくれるかも知れません。
寂しさは、そんな風にして何かの大きな原動力になることがあるので、自分が笑顔になれる何かのために、その寂しさを生かしてみるという方法もあってもいいかも知れません。
何かを育てたい
アパートやマンション暮らしの場合でも、まずはベランダ菜園からはじめるのもいいかも知れませんし、または、公的機関が間に入って、畑、農地などの貸し出しが行われているところもあるので、そういったものを利用してみるのもいいかも知れませんし・・
または、育てるという意味では、例えば、ペットを育てるのもそうですし、例えば、個人で副業をはじめてその仕事を育てる・・というのもいいかも知れません。
または、仕事という意味では、将来的にその仕事に就くかどうかは別にして、何かのコーチングについて(人を育てるような職業について)学ぶのも一つの手段かも知れません。
また、ボランティアであっても、例えば、野球が好きな人は子供に野球を教えるということも、育てるということにつながってゆくかも知れません。
何をしたいのだろうと考えても、答えが見つからない時は?
「自分は何をしたいのだろう?」と考えても答えが見つからないような時は、ここまでご紹介してきたように、自分がしたいことそのものを見つけようとするのではなく、もっと根本的な部分・・・
例えば、自分は何を嬉しいと感じるのだろう?自分は何を楽しいと感じるのだろう?と考えてみて、その答えがわかると、その後で、やりたいことが浮かんでくる・・・ということもあるように思います。
何かやりたいことがあって、それに夢中になっているような時、その何かは案外「手段」になっていることも多いです。
例えば、そのやりたいことがランニングだったとします。
ランニングをしたいのは、走ることそのものもそうですが、走ることで汗をかいて、心地いい気持ちになれるから・・というのがその理由だったとします。
そうすると、ランニングそのものは、ある意味、心地いい気持ちになるための手段とも言えると思うのです。
そう考えると、自分のしたいことを探そうとすることは、「手段」を探そうとするようなもので、本当は、その先にこんな気持ちになりたいという「目的」があるのかも知れません。
だから、何をしたいのか?と(手段を)考えてその答えが見つからない時は、どんな気持ちになりたいのかという「目的」の方を先に考えてみると、手段(やりたいこと)も見えてきやすい、浮かんできやすいのではないかなと、思います。
また、例えば、今自分がやっていることが何となく違うというか、そこまで不満を感じているわけじゃないけれど、本当にやりたいことが他にあるような気がする・・・
という場合でも、どんな気持ちになりたいかという自分の「目的」を考えてみて、それがわかれば、今やっているその何かのやり方というのでしょうか、そういうものを変えてみようかという発想にもなるかも、知れません。
何をやるかということも大切ですが、どんな思いでやるかということも大事だと思うんですね。
どんな思いでやるか。それ次第で、そのやっていることへの感じ方が変わることがあるように思います。
本当にやりたいことは案外自分の近くにあった。
そんなこともあるかも知れません。
ネットの時代になってしたいことが見つからなくなってしまった理由
スピリチュアリストの江原啓之さんは、著書の中で、インターネットの普及で情報化社会になったことが、やりたいことが見つからない、将来の夢が持てないという人が増えたことに関係していると語っています。
どういうことかというと、ネットを通して様々な情報を入手できることで、現実には体験していないことも、実際に体験したかのような、わかったかのような錯覚を起こしてしまうというのです。
海外留学をする学生が減っているのもその表れだと。
そして、江原さんは、したいことが見つからない時にできることとして、期限付きでもいいから、今いる場所を離れてみることを提案されています。
どんなに美味しい料理でも、写真や動画を見ただけでは、本当の意味でその味を知ることはできない、と。
自分の足でそこまで行って、そして、自分の舌で味わうからこそ、その本当の美味しさがわかるのです、と。
自分がしたいことを探す時に大事なことは、江原さんのおっしゃる通り、自分でまずは体験してみるということなのかも知れません。
動画の中で見た料理と実際に自分で食べた時の感じ方が違うように、本当にしたいことかどうかは、「実際に自分でやってみないとわからない」と思うのです。
自分が本当にしたいことは、後になって気づくもの
自分がしたいことを見つける方法についてここまで書いてきて、ある意味矛盾するかも知れませんが、自分がしたいことというのは、どちらかというと、見つけるものというよりは、気づくものなのかなと、そう思うことがあります。
例えば、僕はこのサイトの運営を2012年にスタートして以来、記事を書き続けてきました。このサイトは僕がしたいことなんです。
だけど、このサイトを立ち上げようと思った時は、「これが自分がしたいことだ」という風に思ったり、「これをしたかったんだ」と(したいことを)見つけたわけではなくて、「とりあえずやってみようかな」という程度の気持ちでした。
ただ、サイトを立ち上げて少しした頃、記事を読んだ方から感謝のメールをいただいたんですね。
自分がやったことが誰かの役に立ったということに驚いて、そして、それがとても嬉しくて。その時「あぁ、これが自分がしたかったことなんだな」と気づいたのです。
僕自身の話はこの辺にしたいと思いますが、これは例えば、生きがいなんかも似ているのかなと思います。
生きがいも、「これが自分の生きがいだ」という風に見つけるというよりは、やっているうちにこれが自分の生きがいなのだと気づくものではないかなと、思うのです。
そういうことを考えると、これもまた矛盾してしまうかも知れませんが、自分が本当にしたいことを見つける必要はないのかも知れません。
そうではなくて、まずは、ちょっとした興味や関心を大切にしてみる。
そして、それを本当にしたいことかどうかはわからないまま、とりあえずやってみるということが大事なのかなと。
自分が本当にしたいことというのは、その先に見えてくるかも知れません。
今の自分がしていることに大きな不満もないけど、もっと別にしたいことがあるのではないかと思ったら
最後に、今の自分がやっていることに対して「これでいいのか?自分にはもっとしたいことがあるのではないか?」と迷った時はどうしたらいいか?ということについて考えてみたいと思います。
「今の自分がやっていることに大きな不満はないけど、だけど、もっと他に心からしたいと思えることがあるのではないか?」
そんな風に思い悩むこともあるかも知れません。
そんな時、新たな道に進んでみるのも1つの方法かも知れません。
ただ、その新たな道も見つからないということもあるかも知れません。
そんな時は、今の自分がやっていることが自分が本当にしたいこと、なのかも知れません。
人は選択を続けながら人生という長い道を歩いているのだと思います。そして、人は何らかの理由があって選択をするものだと思います。
選択を続けてきた結果が今なら、今は自分にとってはベストな状態である。僕は、そんな風に思うんですね。
今がうまくいかない時、もっと他にしたいことがあるのではないかと思ったり、もっと別の生き方があるのではないかと思ったり、または、他人がうらやましく思えたりすることがあるかも知れません。
だけど、うまくいっていない時期を抜け出した時、「あぁ、やっぱりこれが自分がしたいことだったんだ」と気づくことってあると思うんですね。
人は理由があって選択をして、それを続けてきた結果が今であるなら、今のままの自分でいいのかも知れない。
もっとも、色々なケースがありますから、全部が全部そうとは限りません。
ただ、今の自分がしていることに大きな不満もないけど、もっと別の何かがあるのではないかと思うような時、今の自分がしていることは、少なくとも現時点ではベストなことなのかも知れない、今の自分は今の自分のままでいいのかも知れません。