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生きがいがない、生きがいを見つけるにはどうしたらいいか?

生きがいがない。生きがいが欲しいと思うけれど、見つからない。

そんなこともあるかも知れません。

例えば、子供だった頃は、生きがいという発想はなくても、毎日をそれなりに、例えば、勉強など、嫌々やっていたようなことはあっても、その中にも楽しいことがあったり、夢中になれることがその時々で、それなりにあったりしたと思うのです。

ところが、大人になってくると、何故か、「生きがい」ということについて考えるようになったり、楽しいことがわからない、楽しいことがないと思い悩むようになってしまうこともあります。

今回は、そんなことも含めて、生きがいが欲しいと思った時にどうしたらいいか?どうやったら、生きがいが見つかるか?ということについて書いてみたいと思います。

また、以前は生きがいがあったのに、今はその生きがいもなくなってしまった、または、その何かを以前のように楽しむことができなくなってしまった時には、どうしたらいいか?ということについても記事の最後で書いてみたいと思います。

その前に、生きがいについての調査が行われていますので、その調査結果について少し見てみたいと思います。

【調査結果】「生きがい」に関して

以前に、時事通信社が20歳以上の男女2,000人を対象に行った生きがいに関する調査があります。(出典:http://www.crs.or.jp/backno/No636/6362.htm)

※表、グラフは調査結果をもとに当サイトにて作成

その結果では、

1)「生きがい」の有無

※ある=生きがいがある、ない=生きがいがない、その他=わからない、どちらともいえない

(この調査では)2割から3割前後の人は生きがいがないか、生きがいがわからないと回答しています。

2)「生きがい」と仕事の関係

職業別に見た、「仕事が生きがい」or「仕事以外(の何か)が生きがい」か?

職業別にみると、商工・サービス業や農林漁業、自由業・管理職では、仕事が生きがいになっているケースが多いという結果となっています。

一方で、主婦業、労務職、また、事務職においても、仕事以外に生きがいがあると答えた人が多いという結果になりました。

3)「生きがい」の内容(複数選択)

生きがいの内容は、「趣味、レジャー」が最も多く、次に「家族、ペット」や「仕事・学業」を生きがいにしている人が多いという結果になっています。

意味や意義を求めると生きがいが見つからなくなる

冒頭で、子供だった頃は、生きがいという発想はなくても、毎日の中にそれなりに楽しいことがあったり、その時々で何か夢中になれるものがあったりしたと思いますと、書かせていただきました。

ところが、大人になってくると、何故か「生きがい」ということについて考えるようになったり、楽しいことがわからない、楽しいことがないと思い悩むようになってしまうこともある、と。

では、大人になって一体何が変わってしまったと言うのでしょうか。

子供の頃は恐らく、頭では考えていなかったと思うのです。

それが楽しいかどうか?それをやる意味はあるか?それを続けて何になる?

・・といったことは恐らく考えていなくて、ただ、楽しいと感じたから、それをやっていたり、それに夢中になっていたり、または、その何かに飽きてしまったから、次に楽しそうだなと思ったものに向かっていったり。

生きがいとは、辞書で調べると、「生きるに値するもの。生きていくはりあいや喜び」(出典:デジタル大辞泉(小学館))という風に出てきますが・・

子供の頃はそんな風にして、頭で、何か楽しいか?、何が生きていくはりあいになるか?これは生きてゆく喜びになるか?という風には考えていなくて、ただ、楽しいと感じたことをその時々でやっていただけ・・ということが多いのではないかなと、思うのです。

ところが、大人になると、色々と頭で考えてしまって、例えば、それは意味があるのか?とか、それは本当の楽しいのか?とか、それは続ける意義のあることか?とか、考えてしまうことがあるかも知れません。

そう考えるようになったのは、育ってきた環境の中で、または、社会の中で生きてゆくために身に付けてきた考え方が関係しているのかも、知れません。

そして、それは、生きてゆくために、取捨選択してゆくために、必要なものでもあると思うのです。

ただ、生きがいということ、もっと簡単に言うと、自分にとっての日々の楽しみという意味では、頭を使って考えようとすると、何故か、その楽しいと思えることが見つからなくなったり、または、何かを楽しめなくなってしまうことがあったりします。

ただ、物事というのは恐らく、楽しいと思ってはじめるということは少なくて、やっているうちに楽しいと気づくことが多いものかも知れません。

生きがいも、頭で考えて、そして、これが生きがいだという風に見つけるというよりは、やっている間に、これが自分の生きがいなんだなと気づくものでもあるかも知れません。

そう考えると、生きがいを見つけるためには、矛盾するようですが、生きがいを見つけようとするよりも、とりあえず、何でも自分のどこかに引っかかったものを、それをやる意味や意義を頭で考えずに、とにかくやってみる・・ということが大切なのかも知れません。

生きがいはそんな風にして、やっている間に、ふとした瞬間に気づくものでもあると思うのです。

生きがいがあるという人にどうやってその生きがいと見つけたか?と聞くと、これが生きがいだというものを「見つけた」という人は少なくて、やっているうちに好きになって、そして、気づいたら、それが生きがいになっていた・・ということがとても多いです。

そんな風にして、生きがいというのは、気づくものなのかも知れません。

それでも生きがいがなくて、苦しくなったら

生きがいがないということが、自分を苦しめる・・そんなこともあるかも知れません。

何だか毎日が同じことの繰り返しのような気がして、楽しみになるようなことも少なくて、だから、辛い。

そんなこともあるかも知れません。

そんな時にやりたいことと、やってはいけないことがあります。

やってはいけないのは、じっとしたまま考える・・ということです。

人は、動かないで考えていると、どうしてもマイナスに傾きやすくなる・・という特徴があります

だから、悩んだ時ほど、動いた方がいいです。

動きながら考えます。

動きながら考える・・本当に動きながら考えます。例えば、ウォーキングしながら、散歩しながら、考えるようにします。

体を動かしながら考えるのと、じっとしたまま考えるのでは、出てくる答えや物事に対する感じ方も大きく変わったりします。

できれば、太陽の光を浴びながら、歩いてみるのもいいかも知れません

太陽の光を浴びることも、歩くことも、どちらも「幸せホルモン」と言われるセロトニンに深く関係していて、ここでは深く解説はしませんが、ただ、太陽を浴びながら歩くことで、不思議と、思いもよらなかった考えが浮かんでくる・・ということもあるかも知れません。

以前はあったのに、今は生きがいがなくなった・・という時は?

以前は、生きがいだと思えるものがあったのに、今は、生きがいだと思えるものが少なくなった、または、なくなってしまった。

そんなこともあるかも知れません。

生きがいがなくなってしまったような時は、どうしたらいいのでしょうか?

生きがいがなくなってしまった、または、以前生きがいだったことなのに、今は何故か楽しめなくなってしまった・・そんなこともあるかも知れません。

これは、虚しい気持ちの原因とその解消方法とは?でも書かせていただいたのですが、人が望むもの、欲求というものには段階があると言われています

人が望むもの、欲求というのは色々な形があって、それはその時々で変わってゆくことがあります。

この、人が望むもの、欲求の段階について、アメリカの心理学者、マズローは「自己実現理論」の中でまとめています。

マズローは人には基本的欲求があって、それは下から

①生理的欲求・・・食事や睡眠など
②安全の欲求・・・健康でいること、安全な暮らしができること
③社会的欲求・愛の欲求・・・社会的な欲(仕事があるなど)、愛の欲(恋人、パートナーが欲しい)
④承認の欲求・・・自尊心など
⑤自己実現の欲求・・・なりたいものになる。本当にやりたいことをやること

・・があると言っています。(人はまず、①から順に満たそうとしてゆきます。いきなり⑤に行ったりはしません)

図にするとこんな感じです。

人は下から順番に求めていきます。例えば、一番下の生理的欲求である、食べ物が食べられていないのに、真ん中の愛の欲求を求めるということはしません。

また、これは人としてのレベルのようなのではありませんし、すべての人が上に上に行こうとするわけではなく、例えば、社会的欲求で満たされていれば、その上の段階の「承認の欲求」は望まない人もいるかも知れません。

この人の欲求とその段階は、生きがいにも深く関係していて、自分の今の段階に応じて、自分が求めるもの、自分が楽しいと思えるもの、ひいては生きがいというものも変わってくるものかも、知れません。

例えば、社会的欲求・愛の欲求の段階では、家族であったり、恋人、夫や妻との時間が生きがいになるかも知れません。

その段階を過ぎて、承認の欲求の段階に来ると、何かがこれまでと違うような感覚になることもあるかも知れません。

ただ、それは例えば、社会的欲求・愛の欲求を求めなくなったから・・ではないかも知れません。

この欲求の段階は下から順番に満たしてゆく必要があって、だから、社会的欲求・愛の欲求が満たされているからこそ、次に進めるわけです。

ただ、そんな風にして、自分の欲求の段階が上がった時、生きがいを少し、見失ってしまうことがあるかも知れません。

「承認の欲求」の段階で、仕事で認められたりすることが生きがいだったけれど、自分の段階がもう1つ上の段階、「自己実現の欲求」に上がると、仕事へのやりがいが、今のそのやり方では、以前のように感じられなくなる・・そんなこともあるかも、知れません。

以前は、生きがいだと思えるものがあったのに、今は、生きがいだと思えるものは少ない、または、なくなってしまった・・というのは、この自分の段階、レベルが関係しているのかも、知れません。

もし、そうだとしたら、そのレベル、段階に応じて、また、自分が求めるものを探してゆく、または場合によっては何かに挑戦してゆく必要があるのかも知れません。

生きがいというのは、時に見失ってしまったり、わからなくなってしまうこともあるものだと思いますが、ただ、虚しい気持ちの原因とその解消方法とは?でも書かせていただきましたが、人の嬉しいとか、楽しいというスイッチはなくなったりはしないと思うのです。

そのスイッチを見失ってしまうことはあるかも知れません。

だけど、そのスイッチそのものがなくなってしまうわけではないと思うのです。

そのスイッチを探すこと、探し続けることは、案外、孤独な道でもあったりして、時に、何だか虚しくなったりすることも、もしかしたらあるかも知れません。

だけど、探し続けていれば、生きがいは必ず見つかります。

それはきっと、思わぬ形で見つかることが多いのかも知れません。

だから、時には、自分でも思いもしなかったようなことであっても、何か自分に引っかかるものがあれば、そこに少し、向かってみてもいいのかも知れません。

それをやっているうちに、それが自分が探していたものだったのだと、そう気づくこともあるように思います。

最後まで記事をお読みいただいて、ありがとうございました。