どうやったら自信を取り戻し、人の目が気になる自分を変えられるか?
自信を失ってしまって、不安になったり、または、何だか自分が情けなく思えたり、恥ずかしく思えて、人の目が気になったりする。
そんなことがあるかも知れません。
それは人にはなかなか、わかってもらえないことだったりして。
そんな時はどうやったら、自信、または自分自身を取り戻して、人の目が気にならない自分になれるでしょうか。
今回は、そんなことについて考えてみたいと思います。
「人の目が気になる」とはどういうことか?
「人の目が気になる」とは、どういうことでしょうか?
こういう風に思われているのではないか?と考えてしまって、何だか、そう思う必要はないとわかっていても、恥ずかしく思えてしまったり、自分が何だか情けなく思えてしまうことがあります。
そんな時は、人のちょっとした表情や言葉が気になってしまうもので。
「そんなの、考え過ぎだよ」と自分でも思うけれど、それでもどうしても、気になってしまったりする。
ただ、人がどう思うのか・・・というのは、これは人によって違っていると思うんです。
例えば、同じ映画を観ても、感じ方は全員が一緒ではなくて。面白いという人もいるし、つまらなかったと言う人もいる。
面白いと言った人達も、その面白いと思ったシーンはそれぞれ違っていたりする。
つまり、人は色々なことを思うもので。
こう思われるのではないか?と思ったとしても、そう思う人も中にはいるかも知れないけど・・・そうは思わない人もいるということで。
だから、こう思われるのではないか?と思うこと自体、本当は必要のないことなのかも知れません。
人は色々なことを思うものですから。
ただ、そう思えても、それでも人の目が気になることがあります。
それは何故なのかというと、自分自身が気にしているからなのかも知れません。
人は不思議なことに、自分が思っていることを、相手も思っているように見えてしまう、感じてしまうようです。
だから、本当に気になっているのは、人の目ではなくて、その人の目に映った自分自身なのかも知れません。
もしそうだとしたら、自分次第で、人の目は気にならなくなるかも知れません。
弱さを受け入れる度に強くなれる
自分自身で(その何かが)恥ずかしいことだと思っていると、人の目が気になってしまうことがあります。
相手もそう思っているのではないかと、無意識の間に思ってしまうからです。
だけど、実際には、相手がそう思っているとは限りません。そう思っていないことの方が多いかも知れません。
ただ大事なことは、相手がどう思うかよりも、自分が自分自身に対して、どう思うのか・・・ということなのかも知れません。
そこが変われば、相手の見え方がガラッと、変わるからです。
もっとも、自分が自分自身に対して思っていることを変えるのは難しいことでもあると思うんです。
そのためには、自分の弱さを受け入れなくてはならなかったりして、難しい。
だけど、少しづつ、等身大の自分を受け入れる努力と工夫を重ねてゆく。
あえて、「努力」と書きますが、それはとても大変なことだと思うんです。
こんな自分は情けないな、恥ずかしいなと思った時に、「いや、いいんだよ。そんな時があってもいい。」と思ってみたり、「弱いところがあってもいい。」と思ってみようとすることがとても、難しいことだと思うんです。
そして、自分を変えるためには、そんなことを続けてゆかなくてはならない。
だけど、弱さを受け入れることを「強さ」と言うのではないかなと。
僕はそう思うようになりました。
弱さを受け入れるなんて、自分が弱い人間だと認めるようなもので、とても怖く、また、そんなことをしたら益々自分が嫌になってしまうと、以前の僕はそう思っていたんです。
ところが、実際にはそうではなかった・・
恐る恐る・・弱さを受け入れてみると、不思議と、少しづつ怖さが薄れてゆく。
昔の自分が頑なに信じていたことは、無駄ではなかったとしても、今の自分、もしくはこれからの自分にとってはもう必要のないことなのかも知れないなぁと、その時にそう思いました。
自信のお話が最後になりましたが・・
自信とは、「自分」を「信じる」と書きますが、自分の強さだけを信じることはできないと思うんです。
強い自分だけを信じることはできないというか。
それは、人には弱さも必ずあるものだと思うからです。
ただ、勇気を持って、弱さを受け入れてゆくと、何も隠すものがなくなってゆきます。
自信というのは、色々な形があると思いますが、そんな風にして、自分を受け入れていった先に生まれる静かな、だけど、揺るがない「自信」というものも、あるようです。