感謝されたい、喜んでもらいたいという欲求と悩みについて
おかしな相談室
「感謝されたいと思うのは悪いことでしょうか?
家族に感謝されないと残念な気持ちになってしまったり、例えば、見返りを求めていたわけじゃないけど、電車の席を譲った時に、何の反応もなかったりすると、なんだかとても残念に思ってしまう自分も嫌です。
他にも、私は感謝されたい、喜んでもらいたいという気持ちが人よりも強いような気がします。どうやったらこの気持ちを捨てられますか?」
そうですね。家族のように自分の身近にいる人達に感謝されたいと思うことってありますよね。
それはあって当然の気持ちだと思います。
やっぱり、自分が家族のためにしていることを家族に喜んでもらったり、感謝されたりするのは嬉しいものだし、そういう気持ちがあること、感謝されたいって思うことは悪いことでも何でもないと思います。
電車の席を譲ったのに何の反応もない・・ということも、そうですね、お礼が欲しかったわけじゃなくても、それは何だか残念なことかも知れませんね。
そう思ってしまうのもやっぱり当然の気持ちではないかなと思います。
もっとも、そんな風に思ってしまった自分が嫌になることもあるかも知れませんが、ただ、それ以前に席を譲ろうと思ったことが素晴らしいことなのではないでしょうか。
そして、それを実践したことがとても素晴らしいことだと思います。
「感謝されたい」「喜んでもらいたい」という気持ちですが、これはあって当然の欲求で、それはある意味、人に備わったものでもあるようです。
ただ、これは恐らくどんな欲求にも言えることですが、その気持ちが強くなり過ぎてしまうと、例えば、人間関係がギクシャクしてしまったり、自分が嫌になったり、または、自分を見失ったりしてしまうかも知れません。
どうやったら感謝されたいという気持ちを捨てられるか?
ということですが、感謝されたい気持ちは捨てる必要はないと思うんですね。
ただ、その気持ちが強くなり過ぎて、例えば、人間関係がうまくいかなくなったり、自分が嫌になった時は、その強すぎる部分を手放すことができたらいいのかも知れません。
今回はそんなことも含めて、感謝されたい、もしくは喜んでもらいたいという気持ち、欲求について色々と見てゆきたいと思います。
目次
人には喜ばれると嬉しいという本能がある
人にはどうも喜ばれると嬉しいという本能のようなものがあるようです。
もっとも、その気持ちの強さも人によって違いますが、喜ばれると嬉しいという気持ちは多くの人が持っているものです。
「感謝されたい」という気持ち・欲求の元になっているものも1つではないと思いますが、喜ばれたいというその本能のようなものが関係していることが多いように思います。
それは(感謝されたいという欲求があることは)悪いことじゃないと思うんですね。
それはむしろいいことで、例えば、喜ばれると嬉しいという自分の素直な気持ちを生かして、仕事をしている人も大勢います。
全国的にも有名で、名医として知られる、ある先生がいらっしゃるのですが、その方は、患者さんに「ありがとう」と言ってもらえることが嬉しくて、この仕事を続けているとおっしゃっていました。
「ありがとう」という言葉はそれだけ、大きな力のある言葉、人を動かす力のある言葉だと思うんです。
感謝されたいという気持ちは、色々な形で自分のために、または誰かのために、生かすことができるように思います。
感謝されたい気持ちが空回りしたら
自分がやったことが喜んでもらえなくて、または、感謝されなくて、それを残念に思ってしまう。そして、感謝されないことを残念に思ってしまう自分も何だか嫌になってしまう。
そんなこともあるかも知れません。
例えば、家族のために家の掃除をしているのに、感謝されない・・ですとか。
または、友人達のために飲み会の計画を立てて、お店も全部手配したのにみんな当たり前のような顔をしている、とか。
そういう時はやっぱり残念な気持ちになるものだし、それは残念に思っても当然のことだと思うんですね。
ただ、その気持ちがあまりにも強くなり過ぎてしまうと、相手との関係もギクシャクしてしまうかも知れません。
そんな時は、一旦、誰かのためにという気持ちを置いておいて、自分のためにやってみるのも1つの考え方かなと思います。
自分が掃除をしたいから、掃除をすると気持ちがすっきりするから、掃除をする。家族のことを思って家を掃除しようとする自分を自分でもいいと思えるから、掃除をする。
自分が楽しい時間を過ごしたいから、みんなの予定を聞いて計画を立てる。みんなのために何かをしたいと思う自分を自分でもいいと思えるから、面倒なことでも引き受ける。
そういう思いでやってみると、感謝されなくてもそれほどガッカリしないで済みます。感謝されなくても、自分のためにやっているんだから、と思えます。
感謝されたい気持ちが強くなり過ぎた時は、その強すぎる部分を手放すために、少し、自分のために何かをやってみる方向にシフトしてみるのもいいかも知れません。
そして、その後で、感謝されたい欲求を、本当に必要な人に必要なものを届ける力に変えてみる・・・というのも一つのやり方だと思います。
世の中には、どこかに自分のこと、自分の力を本当に必要としている人がいるように思います。
そういう人のために、喜ばれたいという欲求を生かしてみるというか。
そういう思いでボランティア活動をしていらっしゃる方もいますし、先ほどの先生のように喜ばれたい気持ちを仕事に生かしている人もいます。
それは色々な生かし方があると思うのですが、自分の力を本当の意味で必要としている人がいて、そういう人のために喜ばれたいという気持ちを使った時は、感謝されたい気持ちを忘れてしまうほど喜ばれたり、もう大丈夫ですという位、感謝されたりします。
喜ばれたいという気持ちは、そんな風に本当に必要な人に、本当に必要なものを届けるエネルギーに変えるという方法もあるように思います。
感謝されたい気持ちと「自己重要感」
もし、感謝されたい気持ちが強すぎて、自分でもコントロールできないような状態の場合は、そこに「自己重要感」が何かしら関係しているのかも知れません。
自己重要感とは、自分は重要な存在なんだと感じる心のことです。
この自己重要感は、生きてゆく上ではとても大切なもので、自己重要感がないと自分の存在意義や存在価値のようなものを感じられません。
自己重要感が満たされていない状態が続いてしまうと、感謝されたい気持ちであったり、時には特別扱いされたいという欲求が高まってしまうことがあります。
どういうことかというと、人に感謝されると自分は大切な存在だと思われていると感じて、自己重要感が満たされることがあります。
するとそこに自分の存在価値を感じることができて、「自分は自分でいいんだ」と思えることがあって、だから、自己重要感が枯渇した状態だと、感謝されたいという気持ちが必要以上に高まってしまうことがあります。
自己重要感が満たされていない原因も色々とあるのですが、例えば、子供の頃に親に殆ど褒められることなく、または認められることなく育てられたり、親に否定されることが多かった・・というような場合は、自分は自分でいいんだとはなかなか思えないことがあります。
その場合は大人になっても、その気持ちは変わらず、自己重要感が低い状態が続いてしまうことがあります。
この場合、感謝されたい、もしくは特別扱いされたい、特別視されたいという強すぎる欲求を手放すために、自己重要感を高めてゆく必要があるかも知れません。
先ほど、人に感謝されることで自己重要感が満たされることがあると書かせていただきました。
じゃあ、自己重要感を満たすために、人に感謝されるようなことをしてゆけばいいかというと、確かにそうなのですが、自己重要感が低い状態だと、感謝されたい欲求が高まり過ぎて、それが感謝されたい気持ちが空回りしてしまう原因になることがあります。
この場合は、まず、自分自身で自己重要感を高めることが必要で、自分自身で自己重要感を高めることができるようになると、人に求めすぎなくて済むようになることがあります。
自己重要感を高めるためには何をすればいいか?ということですが、自分で自分のことを認めてゆくということをするのがとても効果があります。
具体的には、例えば、1日の終わりに、今日の自分のよかったところを3つ挙げる・・というのもいいと思います。
自己重要感が足りていない状態の人は、最初はうまくできないかも知れませんが、小さなことでいいので、自分で自分を認めるために、自分のよかったところを挙げてゆきます。
それは本当に小さなことでも構いません。例えば、道に落ちているゴミを拾った・・でもいいと思います。
それは、結果である必要はありません。自分の在り方や姿勢でもいいです。
例えば、電車で席を譲って喜ばれた。でもいいのですが、席を譲ろうとしたけど、相手は「すぐ降りますから」と言って座ってはくれなかった場合でも、席を譲ろうとした自分の姿勢を評価してゆきます。
これを毎日続けてゆきます。
こんな風にして、自分で自分のいいところを見つけることで、自分を認めてゆくことで、自己重要感は少しづつ高まってゆきます。
そして、自己重要感が満たされた状態であれば、それを満たすために人に求めすぎたりすることが減ってゆくように思います。
この自己重要感(の低さ)ですが、今回のように思わぬ形で様々な悩みの根源になっていることがあります。
自己重要感については自己重要感という悩みの根源。自己重要感を高める2つの方法にてより詳しくご紹介していますので、よかったらそちらを参照ください。
感謝されなかった時に運気が上がる
「電車の席を譲った時に、何の反応もなかったりすると、なんだかとても残念に思ってしまう」
という冒頭のお話ですが、こんな時に残念に思うのは、当たり前だと思うんですね。
ただ、もし感謝されなかった時やお礼がなかった時に残念に思う気持ちをどうにも消化できない時はこんなことを考えてみてください。
下記の記事でもご紹介しましたが、世の中はどうもバランスを取ろうとする力が働いているようです。
何かを得るには、自分から与えてみる。運をよくする一番の方法とは?
例えば、人に与えてばかりいる人がいたとします。このままだとバランスが悪くなります。
そこで、バランスを取る力が働くわけですが、どうなるかというと、この与えてばかりいる人の運気が良くなります。
与えたのに見返りがなかった場合は、徳を積んだことになり、徳を積んでゆくとそれが運になって自分に返ってくるのです。
ただ、もし見返りがあった時は、バランスが取れているわけで運気も特に上がりません。
こういうことを考えてゆくと、自分が与えたのに、感謝されなかった(見返りがなかった)場合は、徳を積んだことになるように思います。
つまり、感謝されなかったけれど、徳は積んだわけで、自分の運気はその分上がりやすくなった・・ということになります。
もし、自分がやったことに対するお礼や感謝の気持ちもなくて、その思いをどうにも消化できない時は、「自分は徳を積んだんだ」「これで運気が上がる」と思ってみてください。
運のいい人はそんな風にして、日々、徳を積んでいるようです。
人に一番感謝されることは何か?
最後に、
何も失うことなく簡単にできて、尚且つ、最も人に感謝されることって何だと思いますか?
いきなりのクイズですが・・
よかったら考えてみてください。
* * *
答えは、
「感謝すること」だと思うんです。
人には喜ばれると嬉しいという本能があると書かせていただきましたが、だからこそ、感謝されると嬉しいわけで、多くの人は感謝されると嬉しいと感じます。
そう考えると、感謝する人は、人に喜ばれる人でもあるわけです。
いつも自分に「ありがとう」と言ってくれる人がいたら、嬉しいわけで。だから、そんな人にはむしろ「あなたがいてくれてありがとう」と思ったりする。
感謝する人は感謝される人でもあると思うんですね。
感謝されたいと思った時に一番簡単にできることは、「感謝すること」だと思います。
してもらったことに感謝する、相手の存在に感謝する・・色々な感謝の仕方がありますが、感謝するのに自分が特別に何かをする必要はないわけで、ただ、「ありがとう」という言葉を伝えるだけでもいいわけで、一瞬でできます。
でもそれが時には人に一番喜ばれることなのかも知れません。
もっとも、できれば自分がしたことで誰かに喜んでもらいたいと思ってしまったりもしますが、だけど、相手の視点になれば、感謝することが本当は一番喜ばれることなのかも知れませんね。