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見返りを求めてしまう。見返りを求めない自分になるために必要なことは何?

見返りを求めないようにしようと思っていても、どうしても見返りを求めてしまう。

そんなこともあるかも知れません。

「見返りを求めない方がいい。」

そんな風に言われることがありますが、それは見返りを求めてしまうと自分が苦しくなってしまうことが多いから、かも知れません。

だけど、見返りを求めないで何かをした方が自分もきっと楽なはずだとわかっていても、それでも見返りを求めてしまうことがあります。

今回は、そんな風にして、わかってはいるけどどうしても見返りを求めてしまう2つの理由、原因について見てゆきたいと思います。

目次

自分の気持ちに嘘をつくと見返りが欲しくなる

自分の気持ちに嘘をついて何かをすると、どうしても見返りが欲しくなることがあります。

例えば、本当は気乗りしないのに、何かをしてあげたり。本当は気が進まないのに、「するべきだ」という思いに負けてしまって、何かをしてあげたり。

そんな風にして、自分の本当の気持ちに嘘をついて誰かに何かをしてあげるということはある意味、自分や自分の気持ちを犠牲にしていることになると思います。

ただ、人は不思議なもので、自分がしたことを相手にも求めるようなところがあって、自分を犠牲にして誰かに何かをすると、相手にもつい同じことを求めてしまいます。

つまり、相手にも自分を犠牲にしてまで何かをする・・ということを求めてしまうわけです。

だから、自分の気持ちに嘘をついて、自分を犠牲にして何かをした場合、相手に(見返りとして)求めることのハードルもその分高くなることがあります。

その場合は、例えば、相手は喜んでくれたり、お返しをしてくれていても、そのお返しや相手の気持ちに気づけなくなってしまうこともある知れません。

見返りを求めないためには、「自分がしたいからする」という気持ちを大切にするといい。

そんな風に言われることがありますが、本当にそうだと思うんですね。

自分がしたいことをやったんだからと思えば、見返りはそれほど求めなくて済みます。

もっとも、全く見返りを求めない自分になる必要なんてないと思うんです。例えば、お礼がなくてガッカリするのは当たり前のことだと思います。

だけど、見返りを強く求めてしまうようであれば、それはどこかで、本当はしたくないことをしているのかも知れません。

例えば、「しなくてはならない」「するべきだ」という自分の中にある思いに負けてしまって・・です。

自分の気持ちを大事にする・・なんていうと、一つ間違うと自分勝手に振る舞うことのように感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、ただ、自分の気持ちを大事にするということは、結果的に、相手の気持ちを大事にすることにつながってゆくように思います。

人は、自分にしていることと同じことを相手にもしようとするから、です。

だから、自分を大事にするということは、結果的には人を大事にするということにもなるように思います。

そのままの自分では好かれない、愛されないという思いがあると何故か見返りが欲しくなる

例えば、友達に見返りを求めてしまうことが多いとします。

見返りといっても、例えば、すごく喜んでくれたり、感謝してくれたりとか・・そういったことです。

この場合、見返りを求めてしまう理由や原因もその人によって様々だと思います。

ただ、その理由や原因の1つとして、「何かをしてあげないと好かれない」とか、「何かをしてあげないと自分を大事な友達だと思ってもらえない」という思いが関係していることがあります。

例えば、彼や彼女、もしくは夫や妻に対して、見返りを求めてしまうことが多いとします。

見返りと言っても、「ありがとう」という感謝の言葉だったり、喜んでくれるとか、そういったことです。

この場合も見返りを求めてしまう理由や原因は様々だと思います。

ただ、先ほどと似たような形で、「何かをしてあげないと好きでいてくれない」「何かをしてあげないと愛されない」といった思いが関係していることがあります。

「何かをしてあげないと自分を大事な友達だと思ってもらえない」
「何かをしてあげないと愛されない」

という思いは、自分に対して価値を感じていなかったり、自分に対する評価が低いことが原因になっていることがあります。

そのままの自分ではダメだから、何かをしてあげる必要がある・・例えば、そんな風にどこかで思っていたとします。

その思いを抱えながら、相手に対して何かをやってあげると、どうしても見返りが欲しくなってしまいます。

というのも、そのままの自分ではダメだからという思いがある場合、相手からのお礼や感謝の言葉(見返り)は、「あなたはダメではないよ」「あなたは大事な人だよ」という相手からの承認のようなものだからです

だからもし、お礼や感謝の言葉という見返りがなかった場合、「あなたはダメではないよ」「あなたは大事な人だよ」という相手からの承認がもらえなかったようなもので、だから、必要以上にガッカリしてしまったり、ちょっとした見返りに執着してしまいたくなることもあるかも知れません。

この場合、自分が本当に求めているのは見返りではなくて、相手からの自分に対する承認や評価のようなものだと思うんです。

だから、見返りを求めない方がいいとわかっていながら、それができないことがある・・そんなこともあります。

「そのままの自分では愛されない」という思いはどこで手に入れたのか?

でも、この「そのままの自分ではダメだ」「そのままの自分では愛されない」といった思いはどこで手に入れてしまったのでしょうか?

これは後天的に手に入れたもので、持って生まれたものではないと思うのです。

じゃあ、どこで・・ということですが、これは子供の頃に手に入れてしまうことが多いようです。

例えば、生まれたばかりの頃というのは、そのままの自分で愛されていたと思うんですね。

赤ちゃんは別に何もしなくても、愛されたり、大事にされるものです。

ところが、大きくなってくるとそうもいかなくて、親に怒られたり、厳しく育てられる人もいるかも知れません。

本来であれば、無条件の愛情を注いでもらえるはずが、いい子になっている時だけ褒められたり、何かいいことをした時だけ愛される・・ということが続くと、何かをしなければ認めてもらえない、愛されない・・・という思いが自分の中に生まれます。

その繰り返しの中で、自分のままではダメだ、自分のままでは好かれない、自分のままでは愛されない・・・という思いを手に入れてしまうこともあるかも知れません。

そして、その思いを大人になってからも、持ち続けている・・ということもあります。

そのままの自分では好かれない、愛されないという思いを手放すには?

もし、何かをしないと大事にしてもらない、好かれない、愛されない・・・という思いがある場合は、その思いを少しづつ捨ててゆくことが、ひいては、見返りを求めない自分につながってゆくかも、知れません。

じゃあ、どうやったら、この思い、そのままの自分では好かれない、そのままの自分では愛されないという思いを手放して、そして、見返りを求めない自分になることができるでしょうか?

そのためにできることがありますので、少しご紹介したいと思います。

①自分自身の価値を認める

そのままの自分では好かれない、愛されないという思いは、自分で自分の価値を感じられていないことが根本的な原因になっています。

ですので、この場合は、自分で自分のことを認めるということがとても効果があります。

自分で自分のことを認める方法ですが、毎日少しづつでいいので、自分で自分のいいと思うところを挙げてゆきます。できれば、毎日3つとか、数を決めてみると続けやすいかも知れません。

具体的な方法や自己価値(=自分の価値)については、自己評価が低い原因と自分で自分を認める方法でご紹介していますので、もう少し詳しく知りたい方はそちらを参照いただければ幸いです。

②自分が「好かれるためにやっていること」を探す

自分で自分のことを認めるということがある程度できてきたなと思ったら、次に、

といったことを探してゆきます。

例えば、そのままの自分では好かれないという思いが自分の中にある場合、好かれるためにやっていることは、恐らく1つや2つではなく、何十とかそれ以上にあるかも知れません。

そういったことを探してみます。

③許してゆく

例えば、自分を大事にしてもらうためにやっていることが見つかったとします。

そうやって、「これは自分を大事にしてもらうためにやっていることだったんだ」と気づくだけでも、心境に何か、変化が生まれることがあります。

さて、そうやって「自分を大事にしてもらうためにやっていること」が見つかって、それが例えば「(必要以上に)愛想よく振る舞う」ことだったとします。

そしたら、自分の中で「無理をしてまで愛想よく振る舞わなくてもいいよ」と自分で自分を許してみます。

もう一人の自分が自分を許すような、そんな感じです。

これは例えば、自分が信頼している人に言ってもらっても効果がありますが、自分自身で自分に向かって言ってあげても同じような効果があります。

こんな風にして「好かれるためにやっていること」を見つけて、そして、それを少しづつ手放してゆくことができると、無理に何かをすることも減っていって、結果的に見返りを求める必要もなくなる・・そんなこともあります。

ただ、自己評価が低いままでは「好かれるためにやっていること」をやめることは難しいので、まずは自己評価を高めてゆくということが大切だと思います。

 * * *

さて、何故か見返りを求めてしまう理由とそのままの自分では好かれない、愛されないという思いについて色々見てきました。

そのままの自分では好かれない、愛されない、大事にされない・・ということですが、本当の友情ですとか、愛情というのは、そのままの相手を受け入れることだと思うんです。

本当は、そのままの自分でも好きになってくれる人もいるし、そのままの自分を大切にしてくれる人もいると思います。

勿論、全員ではないかも知れません。
それは限られた人達だけかも知れません。

だけど、これは以前にもお話させていただきましたが、世の中には2:2:6という不思議な法則があります。

これはどういう法則かというと、世の中の人のうち、2割はそのままの自分をいいと言ってくれる人。2割はそのままの自分ではダメだと言ってくる人。残りの6割はどちらでもない人・・・という法則です。

もし、そのままの自分ではダメだと言ってくる2割の人達が自分にとってとても近い関係だった人の場合は、自分自身でもそのままの自分ではダメだと思ってしまいやすくなります。

だけど、世の中にはそのままの自分を受け入れてくれる人も必ずいるようです。

そして、それが(そのままの相手を受け入れるということが)本当の友情や愛情なのだと思います。

そんな風に考えて、「そのままの自分で大丈夫」と思ってみることも、あなたはあなたのままでいいと言ってくれる2割の人達に出会うためには大事なことかも知れません。