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自分を許すこと、人を許すこと。自分を許せないことについても

前回の記事、他人に厳しい自分に悩むからの続きになります。

他人に厳しい自分。それは自分に厳しい自分でもあると思うんです。

それは言い換えれば、自分も許さない、他人も許さない自分・・ということなのかも知れません。

今回は、自分を許すこと、人を許すこと、そして、自分を許せないことについても考えてみたいと思います。

目次

自分の中の「強い自分」と「弱い自分」

人は、強さだけの存在にはなれないと思うんです。

強さもあれば、弱さもあわせ持っている・・・それが人だと思うんです。

だから、どちらも自分の中には居て・・・強い自分と弱い自分と。

強い自分って、どちらかと言うと外に出やすくて、弱い自分は自分の中に隠し持っている自分だったりして。

強い自分はきっと許されなくても大丈夫だと思います。でも、弱い自分もいて、その弱い自分は、許されたいと思っているのではないかなと、思います。

許されることって嬉しいものだと思うんです。

人から許してもらった時、嬉しくなります。

自分に非があっても許してくれる。そう思えた時に人はその相手に対して安心したり、自分も人を許そうとするものだと思います。

許してもらいたい・・・そう思うのは、人という存在がそもそも完璧ではないからなのかも知れません。

人の欠点はもう至るところにあるし、探そうとすれば、いくらでも見つかるものだと思います。

それを人は自分でも本当は知っているから、ある人はそんな自分を嫌がって完璧を目指そうとするし、ある人は自分が嫌いになるし。

でも、自分のその欠点を受け入れることで、自分のその欠点を許すことで、他人の欠点も許せるようになるのかも・・知れません。

人は許してもらいたいと思っているものだと思うんです。

そして、人からたくさん許してもらえた時に、自分も人を許そうと思えるようになったりします。

人を許せない・・そんな方はもしかしたら、あまり許してもらってこなかった方・・・なのかも知れません。

だから人を許せる人になるには、許してもらうことが1つの方法なのかも・・知れません。

でも、そんなに人を許してくれる人っていなかったりします・・

人は欠点探しがもともと得意・・ですから、間違いを指摘してくださる方は大勢いても、間違いを手放しで許してくださる方は案外少なかったりするのかも・・知れません。

でも、許してくださる方は周りに大勢いなかったとしても・・・自分で自分を許すことならできるかも知れません。

たくさんの人から許してもらえなくても、自分が自分を許し続けてゆけば、他人もきっと、許せるようになると僕はそう思っています。

人を許そうとする人は許される人

自分を許すことが、誰かを許すことにもつながってゆく。

そんなお話をさせていただきましたが、今度は自分を許すことから少し離れて、人を許すことについて少し、考えてみたいと思います。

キリストの言葉にこんなものがあります。

裁く者は裁かれる
裁かない者は裁かれない
許す者は許される
許さない者は許されない

自分がやったことを結局はそのまま自分で受け取ることになる・・・キリストはそのように教えてくださったのかも、知れません。

ある方がこんな風におっしゃっていました。

「私は自分が好きな人やモノは好きと言うけれど、嫌いな人やモノは口にしないことにしています」

この人のここがよくない、あそこが悪い・・・そうやって人を裁くこともできますが、その方は、人を裁かないと決めていらっしゃるのだろうな・・・と思いました。

それは人を裁こうとした途端に、自分も人やそして時には自分自身からも裁かれる側にまわることをキリストの言葉のようにご存じだったから・・・なのかも知れません。

許すのは自分のため

自分がやったことというのは同時に自分が受け取ることにもなる・・・優しさなんかもそうなのかなと、ふと思うことがあります。

優しい言葉を話す、優しい心を相手に向ける・・・相手はそれを嬉しく思ってくれるかも知れませんし、何とも思わないかも・・知れません。

だけど、1つ言えることは優しさを向けようと思った時・・・自分自身にもその思いは向けられているようで、どこか温かい気持ちになれたりします。

だから、誰かを癒そうと思った人はそう思った瞬間に自分自身もその思いによって癒されているのかも知れません。

許すこともそれと似ているのかも知れなぁと思うことがあります。

勿論、どうしても許せないことってあると思うんです。

そして、どうしても許せないことはあってもいいと思うのです。

だけど、そういうこと以外で、例えば、人の不完全さを許そうと思った時、同時に自分の不完全さも許せる自分になれるというか。

反対に正しさを求めてゆくと、色々なことが許せなくなってくることがあったりします。

そんな時は、正しさで自分自身もがんじがらめにしていて、だから、人も自分も許せない・・

許されない人生は、辛い人生なのかも知れません。
一番辛いのは自分で自分のことを許せないことでしょうか。

例えば、自分に対する後悔のようなものが何度も何度も何度も・・・襲ってくることもあります。

そんな時に自分を許せたら一番だと思うんです。

でもそれがどうしてもできないこともあるかも知れません。

そんな時は全く別のところで、全く別の何かを、自分が正しいと思っていることであっても、自分は間違っていなかったとしても、何かを許してみようとする・・・それも1つの方法だと思います。

そうやって何かを許し続けていった時に、その思いが少しづつ自分にも向けられて、許したのは全く違うものだったのに・・・自分が許せなかったことから、ふっと楽になれることがあったりします。

そう考えると、許すのは自分のためと・・・僕はそう思っています。

自分を許せない。どうしたら自分を許せるの?

ここまで自分を許すこと、人を許すことについてみてきました。

それでも、どうしても、自分を許せない。自分に甘くなれない。そんな方もいらっしゃるかも知れません。

例えば、周りに聞いてみても、「そんなに自分に厳しくしなくていいんじゃない?」「そんなことで悩む必要ないよ」と言われるようなことなのに、自分に甘くなれない、自分のことを許せない・・・そんな方もいらっしゃるかも知れません。

自分を許せないというのは非常に辛いものだと思うんです。

だけど、本当に大事なことは許せたか・・よりも、許そうとしたことなのかなと、僕はそう思っています。

自分を許すことができない、自分に甘くなれないのは、何か事情があるからだと思います。

それは人によって違っていて、そしてその原因がわかったとしても、すぐに自分を許せるものでもないのかも知れません。

ただ、それでも、許してみようとすることは大事なことだと思うんです。

勿論、何でも自分を許した方がいいとは僕は思いません。自分を省みることは時にとても大事なことで。

ただ、自分に厳しくし過ぎてしまった結果、自分がどんどん追い込まれていって辛くなってしまった時は、少しだけ、自分を許してみてもいいのかも知れません。

全部ではなくて、少しだけでいいと思うんです。許してみるのは。それだけで気持ちはぐっと楽になれます。

それでもどうしても自分を許せない時は、変なことを言うようですが、「(今は)自分を許せなくてもいい」と思ってみることも、自分を許していることになります。

大事なことは、どんな形でもいいので、今の自分を許そうとしてみることだと思うんです。

実際に許せたかどうかはそんなに大事なことではありません。大事なのは、「許そうとしたこと」「許そうとした回数」です。

自分を許せないという人の中には、誰か、特に自分にとても近い人から許されて来なかった人もいらっしゃるかも、知れません。

例えば、自分の親であったり。

もしそうだった場合、自分を許すことはとても難しいことで、時間がかかるかも知れません・・

だけど、それでも許してみようとすることそのものが大切なことだと、思うんです。

そして、許すために何か特別な方法も答えも、必要ないのかも知れません。

必要なのはきっと、許せる許せないに関わらず、許してみようとすることそのものだと思うからです。

答えがあるから、自分を変えられる、実践できるわけではないと思うんです。

そうではなくて、実践するから、答えが見つかる。実践するからその実践したものが答えになるのだと思うのです。

自分を許すということは、誰かを許すということ。誰かを許すということは自分を許すということ。

僕はそう思っています。