自分の中だけで育てる自尊心
自尊心とは、自分を大切にする気持ち、心のことですが、それは言い替えてみると、自分は自分でいいんだと思える心でもあるのかも知れません。
自分を好きになることもまた自尊心につながってゆくのかなと・・・思います。
反対に自分を好きになれなかったり、自分のままでいいと思えない時は、大きなことから些細なことにまで、傷つきやすくなったり、落ち込みやすくなったり、楽しくなかったり、時には人からの評価に強く依存してしまう、そんなこともあるかも知れません。
誰かから認めてもらったり、頑張っていること、やっていることを見てもらって、評価してもらったり、褒めてもらえたら・・・それは力になるかも知れません。
そうやって手に入れる自尊心というのももしかしたらあるのかも・・・知れません。
ただ、自尊心とは、自分を尊ぶ心と書きますが、それは自分の中で育てていった方が、折れたり、失ったりしないモノになりそうな気が僕はしています。
自分の中から生まれたものは、折れたり、失ったりはし難いのかなと・・だけど、自分以外のところから認められることで、もしくは、自分がしたことに対して何かが返ってくることではじめて得る自尊心のようなものは、折れやすい、もしくは失いやすいように思うんです。
どうやって自分の中で自尊心を育てるか?
でもどうやったら、自分の中で自尊心のようなものを育てることができるのでしょうか・・・?
自分で自分のことを尊敬するなんていうのは難しいし、どうやっていいか分かり難いですが・・ただ、そのためにできることって色々とあって、その1つは、自分の中にもう一人の自分を持つことなのかなと・・・思うんです。
もう一人の自分を自分の中に持って、そのもう一人の自分がそれでいいんだよ・・・と認めてもらえることを実践してゆく。
もう一人の自分を意識するのが難しい時は、もう一人の自分ではなくて、例えば、自分が尊敬している人に置き換えてみてもいいのかも知れません。
自分が尊敬している人がそこにいたとして、今、自分がやっていることを何と言うだろうか・・・と自分に問いかけてみます。
一生懸命やっている、頑張っているのに、返ってこない、認めてもらえない。
「だけど、大事なのは自分がどんな思いで実践しているか・・・ということじゃないかな?今、やっていることは間違ってない。」
そんな風にそのもう一人の自分は言うかも知れません。
神様の視点?
そのもう一人の人は自分が尊敬している人ではなくても、例えば、神様でもいいのかも知れません。
もし神様がいたなら、なんとおっしゃるだろう・・?と。
僕は自分が嫌になって、そんな自分を変えたいと思って今まで色々なことを実践し続けてきました。
3年続けてやっと自分のものになった考え方もあれば、数日で諦めてしまったこともあるし、1年やってみたけど、それ以上続かなかったもの・・・などなど・・・とにかく沢山のことを実践してきました。
それだけ自分が執着していたものが多かった・・・ということなんだろうな・・・と今、振り返って思ったりします。
少し話がそれましたが、そうやって実践してきたことの中の1つが、神様の視点になってみる・・・ということでした。
馬鹿げていると思われるかも知れませんが・・・自分の視点で考えることがことごとく自分を苦しめていることに呆れることを通り越して、何だか笑えてきて・・・神様の視点になってみようと。
その日からパソコンの画面の右上に「神様の視点」と書いた付箋を貼り付けて、自分が嫌な気分になったり、落ち込んだり、苦しんだりした時に、その付箋を見て考えようとしていた頃があります。
今、僕のパソコンにその付箋はありません。
だけど、そう考えるのがある意味癖になって、何かある度に思い出すようになりました。
・・・何だか自尊心の話からどんどんそれている気がするので・・この辺にしたいと思いますが、
そうやってもう一人の自分を持ったり、もう一人の憧れている誰か、もしくは神様から見て・・・と考えてゆく中で、生まれてからこれまで自分が知らぬ間に身に付けてきた考え方や時に思い込みや執着のようなモノ・・・に気づいたりすることがあります。
こんな自分ではダメだと、自分をよしとできなかったその根本的な原因が、そういうある種の思い込みや執着にあることがあって。
それを修正してゆくというか、自分自身を判断する時の基準になる考え方を修正してゆくというか・・・
そうやって、もう一人の自分がそれでいいよと言ってくれる方を選んでゆくことを続けてゆく中で得られる自尊心というものは、何が起きたとしても、例え、誰かに自分を否定されたとしても・・・失い難いものになるように僕は思ってます。