人に左右されない、折れない人が持っているモノ
人の言動に大きく左右されたりしてしまうことがあります。
誰かに言われた一言が忘れられなくて、ずっと思い悩んでしまったり、その言葉やその時の状況に流されてしまって・・・自分を見失ってしまう・・。
それは自分というものをしっかりと持っていないからだ・・・以前はそう思っていました。でも、自分というものを持とうと思って頑張っても、人のやることに動揺してしまったり、気持ちが揺れたり・・・そんなことがあったんです。
自分の「在り方」を大切に生きる人は折れない
反対に人に左右されない、折れない人もいて、そういう方を見ていてどうも僕とは違うことをしているように思ったんです。
随分昔の話になりますが・・ある人が僕に言ってくれたことがあります。
「相手の人が笑顔で接してくれようがくれまいが、私は笑顔で人と接することに決めました」
・・・と。僕にはその言葉がとても衝撃的で・・。
相手は関係ないんだなぁ・・と思ったんです。ただ、人と笑顔で接する自分で在りたいから・・・笑顔でいようと決めたのかなと・・。
この人はきっと、「笑顔で人と接するべきだ」・・・なんてことは思っていなくて。もしそう思っていたら、笑顔で接してくれない人に対して嫌な気分になってしまうと思うんです。
ただ、こういう自分でいたいという「自分の在り方」というものを大切にされているんだろうなぁと、思いました。
それはあくまでも自分の在り方なので、他人は関係なくて、だから、誰かに左右されることもないのかなと。
ご近所の人と会ったら、笑顔で挨拶したい・・・そういう風に笑顔で挨拶している自分でいたいから・・・実践する。
相手によく思われるためでも、誰かのためにやっていることでもないから・・・相手が挨拶を返してくれるとか返してくれないとかは、あまり関係なくて。
もし笑顔が返ってきたらそれはボーナスみたいなものだけれど、だけど、笑顔が返ってこなくても、それは(自分の在り方には)あまり関係のないことで。
「こういう自分でいたい」・・・そう思うこと、そして、そう思える自分をよしとする生き方というか、そういう生き方をしている人はきっと人には左右されない、折れない人なのかなと・・思いました。
僕もそういう生き方をしてみたいなと、あの時思ったんです。
「相手が笑顔でいようがいまいが、笑顔で人と接する」・・・というのはその方の美学のようなものなのかなと・・そして、その美学は他人のために持っているものでもなんでもなくて、自分がいいと思えるから、そこにある美学で。
そういう美学を僕も持ってみたいと、思っています。