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人の言葉に傷つかない方法。人の言葉に傷つく自分を変えるには?

他人からの「嘘でしょう・・」と思うようなひどい言葉、意地悪な言葉であったり、または人として言うべきではないような言葉をかけられてしまって、深く傷ついてしまった。

または、本当にちょっとした言葉なのだけど、人からの言葉に傷ついてしまう。

そんなこともあるかも知れません。

そんな風に、人の言葉に傷ついてしまうことってあると思うんですね。

そんな時は、どうしたら自分の気持ちを少し楽にすることができるでしょうか?また、そもそも人の言葉に傷つきやすい自分がいるとしたら、それは何が原因なのでしょうか?

今回はそんなことも含めて、人の言葉に傷つかない方法について見てゆきたいと思います。

目次

他人からのひどい言葉に傷ついてしまった時にできること

人からの言葉に傷ついてしまった時は、どうしたらいいでしょうか?

他人からのひどい言葉に傷ついてしまった時にできること・・

それは、あまり自分の気持ちを抑圧せずに(気持ちを抑え込もうとせずに)、例えば、「怒って当然だよ」と自分を許してみるということだと思います。

人の言葉に傷ついた時、怒りの感情が湧いてくることがあるかも知れませんが、この怒りの感情はとても嫌なものです。

だから、人は多くの場合、早く何か納得する答えを見つけることであったり、または時には相手を、例えば、心の中で攻撃しようとすることで、その怒りを手放そうとしたくなるものだと思います。

ただ、そのような形で怒りを早く鎮めよう、早く手放そうとするのは、言ってみれば・・

何か嫌なことがあって、友達にその話を聞いてもらいたくて話したのに、「気にしない方がいいよ。」「こう考えればいいんだよ。」と言われ、話をよく聞いてもらえなかったようなものなのかも、知れません。

だから、早く怒りを手放そうとしても、なかなかうまく気持ちを切り替えることができなかったりします。

こんな時は、自分自身に対して、「怒ってもいいよ」「あんなこと言われたんだから怒って当然だよ」と抑圧せず、怒りを感じている自分を許してみると・・不思議と、その怒りの感情が薄れてゆく・・そんなこともあります。

そうやって怒りを抑圧しないで、怒ってもいいと自分を許し続けた上で、できることがいくつかあります。

その1つは、自分と相手の問題を分けて考えてみる・・ということです。

人のひどい言葉に傷つくことは誰にでもあることだと思います。

ただ、深く傷ついたり、ずっとその出来事を引きずってしまうのであれば、それは何か特別な原因があるのかも知れません。

何が原因かというと、相手の言葉を受け取ってしまった・・ということなのかも知れません。

自分と相手の問題を分けて考える

深く傷ついてしまう原因の1つは、相手の言葉を受け取ってしまったから・・かも知れません。

じゃあ、深く傷つかない人はどうしているのかというと、受け取っていないのだと思うのです。

例えば、「あんな風に人が傷つくようなことを平気で言う人は、心が荒んでいるに違いない。近づかないようにしよう。」

例えば、そんな風に、相手の問題として捉えているのかも知れません。

つまり、言われた言葉を自分の問題として、または、自分のこととして、受け取っていないわけです。

あくまでも、相手の問題だと捉えているので、傷つくことはあっても、深く傷ついたり、長く引きずったりはしないのかも知れません。

例えば、ひどい言葉であったり、人を意図的に傷つけるような言葉であったり、意地悪な言葉・・というのは、多くの人は誰かに言ったりはしないものです。

多くの人は多かれ少なかれ、言葉をある程度は選ぶものですから。

勿論、間違って言ってしまった・・ということはあると思います。

ただ、そういうレベルを超えて、相手を傷つけるような言葉というのは、多くの人は口にしないものだと思います。

そういう言葉を口にしている時点で、その人は、何か特別な理由がある人、言ってみれば、「わけありの人」で、何かこちらが知り得ない事情がある人・・なのかも知れません。

この人は何か事情がある人で、問題を抱えている人なのかも知れないなと、そして、ひどい言葉を言ってしまったのは相手の問題と考えてみます。

その相手の事情というのを知る必要はないかも知れませんが、ただ、何か問題を抱えている人なのだろう、こんな風に人を扱うほどの事情があって、かわいそうな人なのかも知れないなと、例えば、そんな風に考えてみます。

そうやって、事情があるのかも知れないなと思ってみるだけでも、今、目の前にある問題が自分の問題ではなくて、相手の問題かも知れないなと、思えてくることもあると思います。

1つの問題として考えないで、相手と自分の問題とに切り離してみる。

こんな風に自分の問題と相手の問題を切り離して考えることを続けていくと、他人からのひどい言葉に傷つくことはあっても、深く傷ついたり、長く引きずったり・・・という機会は減ってゆくかも知れません。

言い返してやりたい、わからせてやりたいと思ったら?

あまりにもひどいことを言われたり、「誰かどう考えてもおかしいでしょう」と思うようなことを言われた時は、例えば、言い返してやりたい、わからせてやりたいと思うこともあるかも知れません。

そういう時は、チクリと言い返してもいいと思うし、はっきりと言い返してもいいと思うんですね。

ただ、何らかの理由でそれができないことやそうしない方がいいと思うようなこともあるかも知れません。

職場でいじめを受けていて、相手の人達から言われた言葉が忘れられない・・そんな人もいます。

そんな時はどうしたらいいか?ということですが、この世には「因果(いんが)の法則」というものがあります。

「因果の法則」とはどういう法則かというと、自分がやったことは結局は自分に返ってくる・・という法則になります。

だから、人に対してひどい言葉を掛けられた場合は、放っておくのが一番かも知れません。放っておいても相手には因果の法則が働いて、いずれ、やったことが返ってきます。

もし、自分も同じようにひどいことを相手に言い返せば、今度は自分にも因果の法則が働いてしまうかも知れないわけです。

だから、放っておくのが一番なのかも知れません。

それでも、相手の言葉が忘れられない時のために・・こんなお話があります。

これは夢物語だと思っていただければと思いますが、観音様というのは、どうも人に化けて自分の前に現れてくださることがあるようです。

どんな人に化けるかというと、例えば、今回の例のようにひどいことを言う人だったり。

そうやって観音様の化身が自分の前に現れることがあるそうです。

何のために?というと、それはどうも私たちを試すためのようです。

自分を磨いて、精神的に成長してゆくと、ある時、観音様が「この人をテストしよう」といって、その人の前に姿を変えて現れて、そして、困らせようとする。

観音様はそうやって誰かに化けて、その人がどんな反応をするか?どんな風に乗り越えてゆくのか?ということを見ていらっしゃるそうです。

僕はこの話が好きで、何かあるとこの話を思い出します。

自分にひどいことを言ってきた人は観音様の化身だった・・・かどうかはわかりませんが、ただ、同じようなことであっても、見方であったり、捉え方を変えることはできるかも知れません。

どうしても言い返したくなって、だけど、それができない時には、そんな風に少し違う角度から自分に起こったことを考え直してみてもいいかも知れません。

自分の中にある原因は何か?

先ほどは問題を相手と自分の問題にわけるということについて、また、相手に問題があるとすればそれはどんなことか?ということついて見てきました。

では、もし自分の側の問題、もしくは自分の中に傷つきやすい自分につながっている原因があるとすれば、それはどんなことでしょうか?

この場合の原因や問題は、2つ、考えられます。

①自分自身で「それでいい」と思えていないと傷つきやすくなる

スピリチュアリストの江原啓之さんは、自身の著書の中で、他人の言葉に傷つく人へのアドバイスを送っています。

江原さんは講演をする際、 「私がデブと言われて怒るのは、自分がデブだとわかっているから」という例え話をよくするのだそうです。

つまり、人からの言葉に傷つくのは、図星をつかれたから、自分でも思い当たる節があるから、だと。

それは本当のことだから、だからこそ、言って欲しくなかった・・ということですと。

自分自身でも「それでいい」と思えていないことがあって、その点について誰かに言われてしまうと、傷ついてしまうということがあります。

例えば、自分の仕事に自信を持てていない時に、誰かから自分の仕事について軽はずみなことを言われたりすると、深く傷ついたりする。

その軽はずみな言葉に傷ついてしまったのは、自分の仕事について「それでいい」という風に思えていなかったから、かも知れません。

もし、自分の仕事に対して、「それでいい」という肯定感があれば、何か軽はずみなことを言われても、相手の見当違いだと思えて、笑ってスルーできるかも知れません。

それは自分自身で「それでいい」と思えていたからであり、自分の仕事について自分自身でよくわかっていたからだと思うのです。

仕事を例にしましたが、これは他のことにも言えると思います。

どんなことでもそうですが、自分で「それでいい」と思えていないと、人の言葉に傷つきやすい自分になってしまうかも知れません。

じゃあ、こんな時、人の言葉に傷つきにくい自分になるにはどうしたらいいか?というと、自分自身でそれでいいとその何かを肯定してゆく・・ということなのかなと思います。

例えば、先ほどの例だと、自分の仕事に対して「それでいい」と思えるためにできることをしてゆくということが、結果的には、人の言葉に傷つかない自分につながってゆくように思います。

自分に対して、または自分がやっている何かに対しての肯定感を高める方法については、自己肯定感が低い。原因と3つの高める方法とは?にてご紹介していますので、よかったらそちらを参照ください。

②期待が多いと傷つきやすくなる

例えば、相手に言われた言葉に深く傷ついて、どうしても忘れられないような場合は、「期待」というものがその裏に隠れていることもあります。

どういうことかというと、相手に対して「こう言ってくれるだろう」という風に「期待」をしていて、その期待とは、例えば、全く反対の言葉が返ってきたりした時、深く傷ついてしまうことがあります。

怒りの原因と「期待」について。怒りは第二の感情?でもご紹介しましたが、怒りの裏に「期待」が隠れている・・ということはよくあります。

もっとも、人に対して期待してもいいと思うのです。

例えば、友達に自分の味方でいてくれることを期待することは当たり前のことですし、こんな風に言ってくれるだろうと期待することだってあると思うんですね。

それはそういう関係では当たり前のことだし、悪いことじゃないと思うんです。

ただ、その期待が高くなり過ぎてしまうと、それが自分を傷つきやすい自分にしてしまうことがあります。

「こう言ってくれるだろう」と期待しすぎてしまうと、それが傷つきやすい自分につながってしまうのです。

この場合は、できるだけ期待しないようにすることが人の言葉に傷つかない自分になるためには必要なことかも知れません。もし、人に期待しすぎていると感じた場合は、です。

全く傷つかないなんて人はいない

ここまで人の言葉に傷つかないためにはどうしたらいいか・・ということについて見てきました。

ただ、最後にこんなことを言うのは変かも知れませんが、全く傷つかないようにならなくてもいいと思うんですね。

人の言葉に全く傷つかない人は恐らくいないし、傷つくことがあってもいいと思うんです。

勿論、毎回のように傷つくような場合は、少しづつでも今回ご紹介したようなことも含めて、傷つきやすい自分を変えてゆけたらいいのかも知れません。

だけど、それでも全く傷つかないようにはならなくてもいいと思います。

そういう痛みを感じるからこそ、自分はそうならないようにしようと思えたり、その痛みを感じるからこそ、自分は人に優しい自分でいたいと思えることもあると思うのです。