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自己肯定感が低い。原因と3つの高める方法とは?

自己肯定感とは、自分自身のことを肯定、または認めることができている感覚のことを言います。

この自己肯定感が高い人と低い人では色々な物事の感じ方も違ってきたりします。

自己肯定感がある程度あれば、多少のことで落ち込むこともなく、他人の意見に大きな影響を受けて自分を見失ったりすることもないかも知れません。

しかし、自己肯定感が低いと、自分を肯定できないことで、他人の言葉に気持ちが大きく揺れ動いたり、人と自分を比べて落ち込んだり・・ということが多くなるかも知れません。

また、対人関係でも、自信を持てなかったり、または相手を信じることができなかったり、相手にどう思われるかが過剰に気になったり、ということもあるかも知れません。

自己肯定感というのは、そういう意味では、色々なところで、色々な形で、自分や自分の物事に対する感じ方に大きな影響を与えているようです。

今回は、自己肯定感が低くなってしまう原因は何なのか?、また、どうしたら自己肯定感を高めることができるか?・・といったことについて書かせていただきたいと思います。

目次

原因は何なのか?

実は、自己肯定感については様々な調査が行われていて、日本人の場合、外国の人と比べても、特に自己肯定感が低いと言われています。

また、自己肯定感(が高い、低い)は保護者、親との関わり方が大きく関係しているとも言われています。(ただし、自己肯定感の低さはそれ以外にも原因があるようです)

親との関わり方、関係が自己肯定感に関係している・・ということですが、それはどういうことでしょうか。

それは専門家によっても多少意見がわかれるようですが、

1)親に否定された
2)親に褒めてもらえなかった、認めてもらえなかった
3)親が過干渉だった/過保護だった

といったことが原因になっているケースが多いようです。

少し詳しく見てゆきます。

1)親に否定された

子供の頃、親に否定されて育った場合、(否定は肯定の反対ですから)どうしても自己肯定感は低くなりがちで、それは大人になってからも続くことがあります。

2)親に褒めてもらえなかった、認めてもらえなかった

例え、親に否定されてはいなくても、親に褒めてもらえる機会や、親に認めてもらえる機会がないと、自己肯定感が持てないまま、大人になってしまうこともあるようです。

また、怒られてばかり、注意されてばかりというのも、それは今のあなたはダメなんだという否定にもなるわけで・・それが大人になってからの自己肯定感の低さに関係してくることもあるようです。

ありのままの自分を否定された経験が「自分のままではダメなんだ」、「頑張らなければ認めてはもらえないんだ」・・・というある種の思い込みにつながることがあります。

その思いを持ったのは幼い頃や子供の頃であったとしても、人は大人になっても、「自分のままではだめだ」「頑張らないと人には認めてもらえない」という思いを持ち続けることがあるようです。

さらに、子供の頃、まだ、親の愛情がたっぷり欲しい時期に自立を促されたりすることもあるかも知れません。

例えば、弟や妹が生まれることで、あなたはお兄ちゃんなんだから、あなたはお姉ちゃんなんだから、と。

まだ親にたっぷりと甘えていたい時期に自立することを求められることが、何かしらの形で大人になってからの自己肯定感の低さに関係してくるケースもあるようです。

「子供は親に褒められたくて生きている」

ある心理の専門家の方がそんな風におっしゃっていましたが、まさにその通りなのかも知れません。

子供は親に褒めてもらいたい、認めてもらいたいわけで、そういった欲求が満たされないまま大人になってしまうと、その満たされなかった欲を違う形で満たしたくなることがあります。

もっとも、自分を認めて欲しいという欲は誰もが多少なりとも持っているものだと思います。

やっぱり褒められたり、認められたりすれば嬉しいわけで。

ただ、その思いを超えて、「認められなければいけない」となると、今度はその思いが自分を苦しめてしまう場合もあります。

3)親が過干渉だった/過保護だった

例えば、子供の頃、親が何らかの理由で過干渉だった場合でも・・育った子供は自己肯定感が低くなることもあるようです。

過保護に育てられた場合、自分でできることをやってもらうわけですが、それは受け取り方によっては、自分にはできないと言われているように受け取ってしまうこともあり、それが自分の中で自己肯定感が育まれなかった理由になっていることもあるようです。

また、過干渉というのは、これも受け取り方によっては、ありのままの自分を否定されていることでもあって、これも同じように自己肯定感に深く関係してくることがあるようです。

今からでも遅くはない

自己肯定感が低い原因として考えられていることについてここまで見てきました。(上記のこと以外にも原因となり得ることはあります)

ただ、こんなことを言うのは矛盾しているようですが、原因というのは、僕自身はあまり重要ではないと、少なくとも、これから自己肯定感を自分の中で育んでゆく上では、それほど重要なことではないと思っています。

原因が何であっても、自己肯定感を自分の中で育んでゆくことはできると思うからです。

それには時間と根気がいります。やらなければならないこともあります。

そういう僕自身、以前は自己肯定感というものは殆ど持てずにいました。

いつも「自分はなんて情けないんだ」と自分を責めていました。

だけど、ある時、もうそういう自分とはさよならをしたいと、そういう自分を変えたいと思って、その日から実践を続けました。

そんな経験もあって、自己肯定感がない、低いという感覚は捨てることができると思っていますし、また、今からでも、大人になってからでも決して遅くはないと、そう思っています。

少し話がそれましたが、原因を知ることは大事なことでもあるのかも知れません。それは、自己肯定感が低いということが、後天的なものであると知る・・という意味では。

だけど、それ以上の原因の追究は本当は必要ないのかも知れません。

本当の原因がわかっているいないは、自己肯定感をこれから高めてゆく上ではそれほど重要なことではないと思うからです。

人は恐らく誰も完璧ではなくて、だから、自分も親も毎回完璧にはできなくて、間違ったことも時にはするものかも知れません。

色々なことが完璧ではないから、時には悩まされたりするわけですが・・ただ、悩まされてしまったことそのものには意味はなかったとしても、そこから立ち上がることには意味があるように思うのです。

自己肯定感とは、悪いところもひっくるめた自分への肯定感

自己肯定感を高めるためには、何かに成功しなければならない、誰かに勝たなければならない、誰かに認めてもらわなければならない・・・

そう思われる方もいらっしゃるかも知れません。
少なくとも、以前の僕自身がそうでした。

ところが、人に勝つことで自己肯定感を得ようとすると、勝った時はよくても、負けてしまった時に、自己肯定感を一瞬にして失ってしまいます。

誰かに認めてもらうことで自己肯定感を得ても、人の意見というのは、必ずわかれるもので、いいと言ってくれる人がいるということは、それではだめだと言ってくる人もいるということで、だから、誰かに認めてもらうことで自己肯定感を得ようとすると、人の評価に自分を大きく左右されてしまって、自分を見失いやすくなるかも、知れません。

じゃあ、どうしたらいいか?

自己肯定感がある人はどうしているのか?

・・・ということですが、自己肯定感がある程度ある人、または自己肯定感が高い人というのは、自分で自分のことを色々な自分をひっくるめて、それでいいと、認めている、肯定しているようでした。

つまり、誰かと比較して優れているからというわけでもなく、何か結果を出したから、成功したから・・・というわけでもなく・・

自分のいいところも悪いところもひっくるめて、こんな自分でもまぁいいかなと、そう思えているというか。

良いところも、悪いところもひっくるめた今の自分に対する「こんな自分でもいいかな」という思いが、自己肯定感なのかも、知れません。

だから、誰かに認めてもらうことよりも、自分で自分のことをそれでいいと思えることの方が自己肯定感を高めるという意味では大切なことなのだと思います。

次に、どうしたら、自分で自分のことをそれでいいと思えるか?ということについて見てゆきたいと思います。

「私は私のままでいい」

自分で自分のことをそれでいい、こんな自分でもいいと、一瞬で思うことができる魔法のようなものはないのかも知れません。

自己肯定感というのは、育んでゆくものだと思うからです。

ただ、魔法のように効く言葉ならあります。
少なくとも、僕にとっては魔法のように効く言葉でした。

それは何かと言うと、

「私は私のままでいい」

という言葉です。この言葉を自分にかけ続けてゆきます。

自分にため息が出た時、自分は情けないなと思った時、人の言葉に自分が大きく揺れてしまった時、自分と誰かを比べたくなった時、うまくいっている人を見て自分がみじめに思えた時・・

「私は私のままでいい」

そう自分に語りかけてみます。

だけど、そうは思えずに生きてきたとしたら、「そんなわけない」と自分(の心)は反発してくるかも、知れません。

だけど、それでも「私は私のままでいい」という言葉を自分にかけ続けてゆきます。

原因のところで、親に認めてもらうこと、褒めてもらうことが自己肯定感の高さに関係していると書かせていただきましたが、それは、自分自身で実践しても、つまり、自分で自分自身のことをそれでいいと認めることも、同じような効果があるようです。

いや、同じというより、自分で自分を認めることの方が、効果があるのかも知れません。そして、それは自分の中で完結するものだからこそ、揺るがない何かになります。

また、その「自分のままでいい」という思いが自信につながってゆくこともあるようです。

「私は私のままでいい」というのは、自分を成長させなくてもいいとか、自分を磨かなくてもいい・・ということではなくて、「今は」私のままでいいんだという思いなのだと思います。

「今はうまくできなくたっていい。」

だけど、それを受け止めた上で、そこからはじめてみる。その中に自分への否定は入っていません。

「このままじゃだめだ。」

・・からスタートして自分を変えようとするのは、自分への否定からはじまっています。もっとも、そのやり方でも自分を変えることはできます。

ただ、「自己肯定感を高める」という意味では、否定からではなく、今の自分でもいいと自分自身を受け入れることからはじめた方がうまくいくかも知れません。

自己肯定感は、うまくいっている時も、うまくいっていない時でも、育んでゆくことができるものだと思います。

少し話は変わりますが、

「私は私のままでいい」という言葉をかけ続けてゆく中で、僕自身が自分に対して思うようになっていったことがいくつかあります。

その中のひとつは、強さだけじゃなくて、弱さがあってもいい、ということでした。

僕は、自分の弱さを情けないと思っていたから、それ(弱さ)を隠そうとしてきました。

だから、自分を自分以上に見せる必要があって、自信があるように見えて、実際の自分は全く違っていました。

ただ、おかしな話ですが、恐る恐る、「私は私のままでいい」、「弱さがあってもいい」と思ってみたら、それを隠す必要がなくなって、不思議なことに強さのようなものを手に入れたように思えたのです。

面白いものだと思います。

自分を肯定する人、否定する人

さて、少し視点を変えたいと思います。

世の中には、自分を肯定してくれる人と、自分を肯定してくれない人がいるようです。

悪気はないのかも知れません。意図していなくても、仕方がなく、相手を知らぬ間に否定してしまっている人もいるかも知れない。

その自分を否定している人が例えば、自分の親だったりすると、非常に辛いものだと思います。

ただ、先程も書かせていただきましたが、親も完璧ではないのかも知れません。自分も含めて、誰も完璧ではないのかも知れない。

だから、誰のせいと言うわけではないのかも知れませんが、ただ、そうやって自分を肯定してくれる人と自分を肯定してくれない人がいます。

自分を肯定してくれない人と一緒にいようとすると、どうしても自己肯定感が下がってゆく・・・そんなケースもあります。

そんな時は、その人から、自分を肯定してくれない人から、少し離れてみるのも1つの方法かも知れません。距離を置くというか、少し離れてみます。

例えば、親から離れるなんていうと、親不孝だと、思ってしまう方もいらっしゃるかも知れませんが・・

ただ、ずっとではなくても、自分で自分のことを肯定できるようになるまででもいいのかも知れません。

少し離れてみる。それは親だけでなくても、友人でもそうかも知れません。

もっとも、親や古くからの友人のように自分に近い人だったとすると、離れるということはとても難しいわけですが、それでも、勇気を持って離れてみて、自分が自分でいることをよしとしてくれる人達とだけ、付き合うようにしてみる。

すると、自分の中に自己肯定感が生まれてくることもあります。

人は良くも悪くも環境に大きな影響を受けるもので、だから、時には、ガラっと環境を変えてしまうことも、自分を変えるという意味、または自分を取り戻すためには大事なことなのかも知れません。

もっとも、環境を変えたとしても、自己肯定感は自分の中で、自分自身で、育んでゆく必要があるものだと思います。

ただ、環境を変えるということは、その手助けになるように思います。

ほんの少しの考え方の違いが自分を大きく変える

人には、考え方の癖というものがどうもあるようです。(考え方の癖を変える方法

それはその人が無意識の間にやってしまう、ある種の習慣です。

例えば、マイナス思考を治す方法とは?日々実践できる2つのことでもご紹介しましたが、物事をマイナスに受け取ってしまうのも、1つの考え方の癖です。

自己肯定感が低いということについて考えると、自分に足りないところを見てしまう(考えてしまう)という癖があるのかも、知れません。

例えば、「こんなこともできていない自分は情けない」そう思うことがあったとします。そんな風に思っている時に自分を肯定なんてできないと思うのです。

ただ、同じ状況にいても、別の人はそうは思わないかも、知れません。

つまり、自分に足りないところを考えてしまうのも、その人なりの考え方の癖、なのかも知れません。

それは、考え方の「癖」または「習慣」ですから、たとえ、時間がかかったとしても直すことができるかも、知れません。

じゅあ、自己肯定感がある人はどう考えるのでしょうか?

自己肯定感がある程度ある人は、例えば、できない部分だけではなくて、できている部分も一緒に見ようとするかも、知れません。

できていないところだけを見ようとすると、自分はダメだな・・と思えてきます。

ただ、できている部分もあるかも、知れません。

何もかもうまくいかない・・そう思っても、うまくいっているところだって、全くゼロではないかも知れません。

できていない部分を見るけど、自分ができている部分も見る、または考えるようにする。

いつもの自分の癖に1つ、できている部分も見るということを追加してみます。

そして、それを無意識のうちにやるようになるまで、何度でもしつこく続けてゆきます。

考え方の癖については別のページで詳しく書かせていただいていますので、この辺にしたいと思いますが、ただ、自己肯定感が低いという自分に気づいた時、何か自分をそうさせている、考え方の癖(認知の歪みとも言われます)があるのかも知れません。

それを見つけて、修正してゆくことで、感じ方というのは、思った以上に大きく変わってゆきます。

そして、ほんの少しの考え方の違いが(考え方の習慣が)自分を大きく変えてゆく、そんなこともあります。

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