すれ違いと寂しさ。自分とは違う愛情・友情の形を受け取ってみる
愛情であったり、友情の形というのは、面白い位・・・人によって違っているものだなぁと、思います。
そして、その違いがすれ違いを生んで、寂しさや悲しさ・・・へとつながってゆくこともあります。
そんな時にどうやったら、自分に明るい気持ちが戻ってくるのか・・・について今回は考えてみたいと思います。
自分とは違う愛情や友情の形を探してみる
人間関係でトラブルになってしまう原因は本当に様々で、数えきれないほどあると思います。
でもその根底にあるものは悲しみや寂しさ・・・なのかも知れません。それは自分を大切にされなかったという悲しさや、自分をわかってもらえなかったという寂しさのようなものだったり。
ただ、本当に大切にされなかったかどうかというのは、自分の愛情や友情の形、自分の価値観に基づいて考えても、本当のところはわからないものなのかも知れません。
だけど、自分とは違う愛情や友情の形を探してみようとした時に、そんな自分の価値観で考えてもわからなかった、見えなかった愛情や友情がふと、見えてきたりすることがあります。
自分とは違う愛情や友情、または思いやりや優しさ・・・なんかもそうですが、そういったものを探そうとしていると、それまで感じることがなかったような、不思議な温かさが込み上げてくることがあります。
10%の愛情や友情も
100%の愛情や友情があれば、それに越したことはないに決まってます。
例えば、親からの愛情は100%であるはずだと、100%であるべきだと・・・子供の立場では思ってしまうものだと思うんです。
何故、その愛情をくれないんだと、そう思うと、信じられない位、苦しくなります。
だけど、それは100%の愛情ではなかったけど、そこにわずかでも愛情はなかったのかと、探すこともできるものだと思うんです。
それは50%もなかったかも知れない。10%の愛情だったかも知れないけど、それも愛情であることに違いない・・・と。
そう思えた時には自分の気持ちが明るくなれたり、色々な意味で相手への執着を手放せたり、自分の心が自由になれたり・・・そんなこともあります。
それが決して簡単なことではないことは僕自身、よくわかっています。だけど、同時に、それが自分が笑って生きる道だと、そう思っています。
勿論、それでもどうやっても消えない寂しさや悲しさってあると思うんです。
その残ったものは自分のために、または時には誰かのために・・・生かすこともできるはずだと、僕は寂しさを思う時には、いつもそんなことを思います。