親友、友達の結婚や妊娠、出産に寂しい気持ちになってしまったら?
親友、友達が結婚することになったり、または、妊娠の報告を受けたり、出産の報告を受けて、本当はすごくおめでたいことで、心からおめでとうと言わないといけないのに、どこか自分の中に寂しい気持ちがあって、それができない。
そして、心からおめでとうと言えない自分が何だか情けなくなってしまったり、そんなことはないのだろうけど、何かを失ってしまったような、そんな寂しい気持ちになったり。
そんなこともあるかも知れません。
今回は、そんな時、どんなことを考えたら、自分の気持ちが楽になれるか?また、その後にどうやってその寂しさを乗り越えて、心からおめでとうと言えるようになるか?ということについても書いてみたいと思います。
すぐに心からおめでとうと思えなくていい
例えば、親友、友達が結婚したり、または、妊娠するということは、これまで通り、会えなくなってしまうこともあるということで、それを寂しいと感じることができるのは、本当の友達の証のようなものなのかも、知れません。
もっとも、本当は「おめでとう」と心からそう思えたらいいのかも知れませんが、そんなにすぐに気持ちが切り替えられないこともあると思うのです。
友達の結婚や妊娠、出産というのは、時にその周りの友人達にとっては大きなショックを与えることがあるように思います。
だから、すぐに心からおめでとうと思えないことがあってもいいと思います。
心からおめでとうと思えない自分を「情けない」と、そんな風に思う人もいますが、それは友達を思うからこそで、そのことについて、今は、寂しさを感じることがあってもいいのではないかなと、思います。
また、寂しさは不思議なもので、捨てようとすると大きくなってしまうところがあって、だから、「寂しいなんて思っちゃだめだ」とか、「早くこの気持ちを捨てよう」と思うと、寂しさがむしろ増してしまうことがあります。
そんな時は、
「今は、寂しい気持ちになってもいい。
いつか、この気持ちも変わる時が来るだろう。」
例えば、そんな風に、今の自分の気持ちを受け入れてみると、不思議なことに寂しさはそれ以上強くなったりせず、また、気持ちも少し、楽になれることがあります。
寂しさを悪いものだと思うと苦しくなって、寂しくなってもいいと思うと気持ちが楽になる・・というのはとても不思議なものですが、心はどうもそんな風にできているようです。
本当の友達との「つながり」は失われたりはしない
寂しさについて先ほど少し書かせていただきましたが、そもそも寂しさとは、何故感じてしまうのでしょうか・・?
寂しさを感じる理由はいくつかあると思うのですが、寂しさとは、つながりが失われてしまうと思った時に感じるものでもあるようです。
相手が結婚したり、妊娠したり、または出産して子供ができることで、相手が自分から離れてゆくのではないか、つながりが薄れてしまうのではないか、つながりが失われてしまうのではないか・・・と思うから寂しくなるのかも知れません。
もっとも、相手が結婚したりすると、家族ができるわけで、以前のようには会えなくなってしまう時期というのも、一時的には、できてしまうかも知れません。
それはやっぱり悲しいことだと思うのです。
ただ、つながりという意味では、たとえ、相手が結婚しても、子供ができても、本当の友達とのつながりは失われたりはしないと思います。
本当の友達とは、離れていてもつながっているものだと思います。
寂しさが強くなってしまった時は、つながりは失われたりはしないと、そう思ってみるのもよい方法かも知れません。
そう思ってみることで薄れてゆく寂しさもあるように思います。
マイナスなことを考えたら、今度はプラスのことも考えてみる
友達の結婚や妊娠、出産に寂しい気持ちになってしまう時は、その友人が結婚することや、妊娠したことのマイナスな面を考えていることになると思います。
例えば、これからは今までのように会えなくなってしまう、など。
感情というのは、その前に何を思ったかが決めているので、マイナスなことを思うと、自然とマイナスな気持ちになります(マイナスな気持ちが湧いてきます)。
自分を苦しめる考え方を変える方法、感情は思考の後についてくる
そう考えると、相手が結婚するから、寂しい気持ちになる・・・というわけではないと思います。
相手が結婚するという事実に対して、自分が寂しくなってしまうようなこと(マイナスなこと)を思ってしまったから、寂しい(マイナスな)気持ちになったのだと思うのです。
ですので、マイナスなことを考えた後は、今度は、その出来事のプラスの面を探してみます。(考えてみます)
例えば、その友達の今の気持ちとか。
「今回のことのプラスの面って何だろう?そうだな・・きっと、今は幸せな気持ちでいるんだろうな。それは友達としても、嬉しいことだよね。」
例えば、そんな風にして、その出来事のマイナス面を考えたら、次はプラスの面を考えてみます。
すると、不思議と、今度は先ほどのような寂しさではなくて、違う気持ちが湧き上がってくると思います。
自分が思ったことに見合った感情がやってくるというか。
人はまた、自分の視点を離れると、寂しいとはあまり思えないようです。
だから、同じ出来事でも、相手の視点になって、考えてみると、感じ方は変わります。
例えば、「もし、自分が親友の立場だったら、友達には(自分の結婚を)どんな風に思って欲しいかな?」・・・と考えてみるのも、相手の視点になるためにはよい方法かも知れません。
そうやってもう一度、相手に(自分に)起こった出来事を考え直してみると、今度は違う気持ちになれることもあるように思います。
寂しいままでも相手を祝福できる
ここまで書いてきたようなことを実践してみることで、気持ちが少し前向きになれたり、気持ちが少し楽になれたりすることもあるかも、知れません。
ただ、それでも、寂しい気持ちはある程度は残るものだと思うのです。
やっぱり、今までのように会えなくなるのは一時的なことであっても(そういうこともあります)、寂しいものだと思います。
ただ、その気持ちを抱えながらでも、つまり、寂しいままでも、相手を祝福してあげることはできるかも知れません。
そこに気持ちが入っていなくてもいいと思うのです。
気持ちは、言葉の後からやってくることがあります。
寂しいままでも、「おめでとう」と口にしてゆくと、不思議と、その後からその言葉に見合った気持ちが自分の中に湧いてきたりします。
だから、気持ちがあるかないかは別にして、とりあえず、本当は言いたいはずの言葉を口にしていってもいいのかも知れません。
そうしているうちに、気持ちが後からついてくることもあります。
寂しさを感じるのは悪いことじゃない
寂しい気持ちというのは辛いものだと思います。
できれば、寂しい思いなんて誰もしたくはないわけで。
だけど、それは本当は、悪いことばかりじゃないのかも知れません。
寂しいという気持ちがあるから、今、目の前にいる人を大切にしようと、今、自分の周りにいてくれる人を大切にしようと思えるものだと思うのです。
そういう意味では、寂しさは人とのつながりを深めてくれるものでもあるのかも知れません。
中には、友達が結婚して、会える頻度は落ちてしまったけれど、その後からの方がむしろ、つながりという意味では、より深くなったと感じた・・という人もいます。
寂しさというものが二人のつながりをより深いものするということも、あるのではないかなと、思います。
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