夢を諦めるべきか迷う時、後悔しないための決断方法。タイミングや理由も
夢を追って、今まで一生懸命頑張ってきたつもりだけど、ここにきて、その夢を諦めるべきかと考えるようになった。
そんなこともあるかも知れません。
これは少し後でご紹介しますが、以前に夢に関する調査がキリンビールによって行われています。
その調査結果では、夢を諦める平均年齢は24歳。
そして、夢を諦める理由は「才能の限界を感じたから」が約半数、「金銭的問題を感じたから」が約2割という結果でした。
実は、僕(筆者)自身、夢を追って単身、アメリカに渡ったことがあります。そこで10年間という月日を過ごしました。
最初は大学に通いながら、大学卒業後は現地で働きながら、夢を追いました。
10年という月日が経って、最後に夢を諦める決断をした時、自分の心は晴れやかでした。そして、夢を追ってきてよかったと思えたのです。
その時のことや、そう思えた理由については記事の最後で書いてみたいと思います。
夢を諦める決断をした・・なんていうと、夢を諦めることをすすめているように聞こえてしまうかも知れませんが、僕はできることなら、夢は諦めないで欲しいと思っています。
夢を追うということは素晴らしいことだと、思います。
ただ、色々な事情、理由から、夢を諦めるべきかと迷うこともあるかも知れません。
そんな時に大事なのは、夢を追い続けるにしても、夢を諦めるにしても、自分が心から納得できる決断をする・・ということなのかなと、思います。
この記事では、その自分が納得できる決断をするためには、どうしたらいいか?どんな決断方法があるか・・ということをご紹介してゆきたいと思います。
その決断方法の前に少し、冒頭でご紹介したキリンビールによる調査結果について見てみたいと思います。
【調査結果】夢を諦めたタイミングとその理由
以前、キリンビールが行った「日本人の夢」に関する調査があります。
その調査では、20代~50代の男女各100人(800人)、新成人の男女各100人(200人)の合計1,000人が対象となっています。
さて、その結果はこんな感じになりました。(表、グラフはキリンビールの「日本人の夢調査」結果より、当サイトで作成)
夢を諦めた年齢
14歳以下 12%
15歳~19歳 29%
20歳~24歳 26%
25~29歳 10%
30~34歳 8%
35~39歳 3%
40~44歳 5%
45~49歳 5%
50歳以上 2%
夢を諦めるた年齢は平均24歳でした。
年齢を重ねるにつれて、夢を諦めていない人の数は減ってはゆきますが、この調査を見る限り、30代、40代は勿論、50歳以上になっても夢を追っている人もいます。
夢を諦めた理由(いくつでも)
・才能の限界を感じたから 33%
・金銭的問題を感じたから 17%
・物理的に困難だったから 14%
・年齢的限界を感じたから 13%
・その他 13%
夢を諦めた理由では、「才能に限界を感じたから」が一番多いという結果になっています。
夢を諦めるか、追い続けるかの6つの決断方法
さて、ここからは具体的に、夢を諦めるか、それとも夢を追い続けるのかを迷った時にどんな決断方法があるのか?ということについて見てゆきたいと思います。
1)やりきったと思えるか?
夢を諦めるか、それとも、夢を追い続けるか?と迷った時、自分の中で、「やりきった」と思えるかどうか?で決めるというのも1つの方法だと思います。
もし、やりきったと、自分はできることはやったと思えたのなら、自分でも納得して諦めようと思えるかも知れませんし、後で振り返った時、大きく後悔せずに済むかも知れません。
もし、やりきったと思えないまま諦めてしまえば、振り返った時に、(まだできることがあったのにと)大きく後悔してしまうことがあるかも、知れません。
もし、やりきったと思えないのなら、まだ、夢に向かってできることがあるかも知れません。
大事なことは夢を叶えることだけとは限らないと思うのです。
勿論、夢を叶えることは大事なことだと思います。
ただ、人生の楽しみや喜びというのは、結果の中だけではなく、過程の中にも大きな喜びであったり、楽しみがあるように思います。
夢についても、叶えることだけではなくて、夢に向かって走っていることの中にも(勿論、苦しみもあるわけですが)、多くの喜びや楽しみがあるものだと思うのです。
2)自己嫌悪の少ない方を選ぶ
これは迷った時、決断できない時に決断する9つの方法でもご紹介した方法ですが、自己嫌悪の少ない方を選ぶというのも1つの決断方法かも知れません。
夢を諦めるという決断をした自分と、夢を追い続けると決断した自分、どちらが自己嫌悪が少ないか?と考えてみます。
もし、夢を諦める決断をした自分を嫌いになってしまうのなら、夢は諦めずに追い続ける。
もし、夢を追い続ける決断をした自分を嫌いになってしまうのなら、夢は諦める。
そんな決断方法もあるかも知れません。
3)その後のことを考える
何かを決断する時、その決断を下した直後のことは考えることが多いと思うのです。
ただ、大事なのは、その直後だけではなくて、その先のことも大事になってくると思います。
だから、その決断を下した1年後の自分はどう感じているだろうか?と考えてみるのも1つの方法です。
その決断を下した直後だけではなく、その先の自分のことも考えてみた時、何か答えが見えてくることがあります。
4)その後の選択肢を用意しておく
これは以前にもご紹介したことがありましたが、ミュージシャンであり、俳優の福山雅治さんは売れなかった頃、やめるべきか?とか、このまま売れなかったらどうしよう?という風に迷ったり、悩んだりすることはなかったそうです。
迷ったり、悩まなかったのは何故だったかというと、もし、売れなかったら次はこうしようと決めていたから・・だそうです。
夢を追い続けようと思った時、不安がつきまとうこともあるかも知れません。
ただ、もしこうなったら、こうしてみようという選択肢があったのなら、その不安や迷いも少なくなるかも、知れません。
このまま夢が叶わなかったらこうしようという選択肢が自分の中にあることで、自分が納得するまで夢に挑戦しよう思える・・・そんな、その後の選択肢に支えられた思い切りの良さというものもあるかも知れません。
5)他人軸ではなく、自分軸で
夢を追っているというのは、素晴らしいことだと思ってくれる人がいる一方で、例えば、こちらの思いも知らず、「いい歳をして」とか「まだ諦めてないんだ」・・なんて言ってくる人も中にはいるかも、知れません。
周りにどう思われるだろうか?と考え始めると、この辺で夢を諦めた方がいいのだろうか、それとも自分が納得するまで続けた方がいいのだろうかと迷ってしまう・・そんなこともあるかも知れません。
人にどう思われるだろうか?と考えるのは他人が軸になっているわけですが、他人軸だと答えがなかなか、出ません。
というのも人は、色々なことを思うものだから、です。
そうやって答えが出ずに悩みはじめたら、一度、自分軸に戻ってみてもいいのかも知れません。
つまり、人がどう思うか?ではなく、自分がどう思うか?ということを大切にしてみるのです。
他人ではなく、自分を基準にしてみると、自分が本当にやりたいことが何だったか?ということが見えてくることがあります。
6)どちらが正しいか?より、どちらが笑っていられるか?
以前の僕は、どちらが正しいか?ということを基準にして物事を決断したり、判断していました。
だけど、その頃の自分はどこかで物事を楽しめていませんでした。
それから長い時間が経って、今は、どちらが正しいか?ではなく、どちらが楽しいか?どちらが笑っていられるか?ということを基準に物事を決断するようになりました。
何か決断しなければならないことが出てきて、楽しいと思える方を選びます。次にまた何か決断する場面が来て、また楽しいと思える方を選びます。
そうやって、何かを選んで行けば、自分の人生は楽しい人生になるような気がしています。
もっとも、楽しいというのは、色々な意味があると思います。
苦しいから楽しくないかと言ったら、そうではなくて、苦しみを味わうからこそ得られる喜びというものもあるように思います。
また、例えば、今やっていることがいくら楽しくても、それで生活してゆけなくなって、家族との関係まで崩れてゆくようであれば、結果的には楽しくはないわけです。
だから、色々なことを考えて楽しいかどうか・・と判断しなくてはならないわけですが、ただ、どちらが正しいか?ということを考えて判断できなくなった時は、どちらが楽しいと思えるか?ということを考えてみるのも1つの方法かなと思います。
プロになることがすべてじゃない
夢というと、例えば、何かのプロになること・・という風に思われる方もいるかも知れません。
確かに、そういう夢もあるとは思うのですが、夢というのは色々な形があってもいいのではないかなと、思います。
夢を持つのは、自分が本当にやりたいことがそこにあるから、だと思います。
つまり、自分が本当にやりたいことを叶える「手段」が夢ということなのかなと、思います。
だけど、自分が本当にやりたいことを叶える手段は他にもあるかも、知れません。
例えば、僕の知人で、プロのミュージシャンになりたかったという人がいます。
彼は、才能のある人だけれど、プロとしてはなかなか生活してゆけませんでした。
そんな日々が何年も続いて、この夢を諦めようかと・・悩んだそうです。
その時、ふと、「自分は何故、プロのミュージシャンになりたかったのか?」と考えた。
それは音楽が好きだったからだ、と。
何故、音楽が好きだったかというと、音楽を通して、自分の思いを誰かに伝えることで(その思いが伝わることで)、そこに自分と人とのつながりのようなものを感じられたからだそうです。
そう思ったら、その自分が求めていたこと(音楽を通して、自分の思いが誰かに伝わることで、自分と人とのつながりを感じたいということ)を叶える手段は何もプロになることだけじゃないのではないか?と思えたそうです。
別にアマチュアでもその自分が本当に求めていることを叶えることはできる、と。
そんな風に、夢は、自分が本当に求めていたことを叶える手段の1つという考え方もあってもいいのかも知れません。
夢を追い続ける決断をしても、夢を諦める決断をしても
最後に、少し僕(筆者)自身のことについて書いてみたいと思います。
冒頭でも少し書かせていただきましたが、僕はあるスポーツの分野で夢があって、10代後半でアメリカに行きました。
そこで10年間、過ごしました。夢を追って。
だけど、途中、1度、夢を諦めています。
自分の才能のなさにガッカリしたこと、そして、夢を叶える道(方法)が見えなかったからです。
そんな風にして夢を諦めた後、生きているのか、死んでいるのかわからないような暮らしを何年続けたでしょうか・・
そんな日々が続いていたある日、あることがきっかけで、もう一度挑戦したいと思いました。
もう一度挑戦したいと思ったのは、やっぱり自分はそれが好きだったから、そして何より、まだ、やりきったとは到底思えなかったからです。
そこから、僕の2度目の挑戦がはじまりました。
毎日、朝から晩まで、倒れそうになるほど練習しました。それまで、まるで死んだように暮らしていた自分には、何かに一生懸命になれることが楽しかったのです。
大学を卒業して、現地で就職した後も、仕事が終わると、毎晩夜遅くまで汗を流し、休みの日は朝から晩まで、とにかく一生懸命でした。
そんな日々がずっと続いて、そして、アメリカに来て10年が経とうとしていた頃に、僕は、この夢を諦めようと思いました。
やれることはやったと思えたからです。
諦めようと思った時、自分の心は何故か晴れやかでした。
やれることはやった、やりきったと思えて、そして、「ここに来てよかった。夢を追って頑張ってきてよかった」と思いました。
この10年間はうまくいかない日々だらけで、途中、こんなところまできて、何も形にできないのかと、自分に苛立ったり、自分を責め続けてきたけれど、だけど、自分は本当は何かに向かって突き進むことを心から楽しんでいたんだと、そう思えたのです。
その後のことですが・・
そこから何年かの月日が過ぎて、僕は、紆余曲折を経て、自分が夢見たスポーツの分野で、仕事を立ち上げることになります。
僕と僕の奥さんで切り盛りする、小さな小さな仕事です。
それは僕が夢見た形ではないけれど、自分がやってきたこと、一生懸命になって、がむしゃらにやってきたことは決して無駄ではなかったと、今、そう思える自分がいます。
夢を追い続ける決断をするにしても、違う道、または違う夢に進む決断をするにしても、色々な決断方法、考え方があるかと思いますが、ただ、いずれにしても、何か自分が心から納得できる決断ができるといいですね。