自分の居場所がないと思った時に考える3つのこと
自分の居場所がない、そんな風に感じてしまうこともあるかも知れません。
そう思ってしまった時には、例えようのない孤独感のようなものを感じてしまったりします。
そんな時、少しだけ、自分から心を開いてみることで、ないと思っていた居場所が実はそこにあったことに気づくことも、あると思うんです。
それはとても大きな勇気が必要なことだけど、自分から心を開いてみることで何かが大きく変わってゆくことがあると思うんです。
だけど、それでもうまくいかない、それでも自分の居場所を感じられないことだって、あるかも知れません。
そんな時にはどうしたらいいか・・・ということについて今回は考えてみたいと思います。
自分の居場所は、必ず見つかる
「自分の居場所がない」
僕自身が、そう思っていた頃がありました。
ちょうど大学の頃から社会人になって、30歳を過ぎるまでの10数年の間はそんな風に思うことの連続でした。
平気なふりをしてみたり、強がってみたりしたけど、いつもどこかで孤独を感じている自分。
あれから長い時間が経ちましたが、今、自分の居場所がないと、真剣に悩むことはなくなりました。
それは、悩みはじめて10数年という月日が過ぎてやっと、自分の居場所が見つかったから、だけではなくて、あることを知ったから、なんです。
今日は、その「あること」について少し書いてみたいと思います。
人には「波長」というものがあると言われています。
波長が合うとか、合わない・・・という言い方をしますが、波長とはその人が持っているその人特有のモノで、目には見えません。
それは目に見えないけど、確かにそれぞれが持っているモノで、人は自分と似たような波長を持った人と一緒にいると、居心地がいいと感じ、そうではない場合は居心地が悪いと感じるようです。
類は友を呼ぶと言いますが、ある場所、あるグループによっては、似たような波長を持った人が集まっています。
グループだけではなくて、組織でもそういうことがあるかも知れません。
もし、その波長が自分とは違ったものだった場合、自分だけが浮いているような気持ちになってしまうかも、知れません。
自分の居場所がないと、例えば、ある人達、またはあるグループ、ある組織の中で感じた時は、自分は人間関係が苦手なんだなとか、自分は人付き合いがうまくできないとか、自分だけがどうしちゃったんだろう・・と悩んでしまうことがあるかも知れません。
自分だけが浮いているような時はどうしてもそう思ってしまいがちだと思うんです。
だけど、本当はそうではないのかも知れません。
たまたま、その時の自分の波長がその場所に合っていなかっただけ、かも知れないからです。
波長というのは面白いもので、人によって違いますが、例えば、オリジナル度100%、似たものが全くない・・・なんてことはないようです。
人によって違っているけど、必ず、自分と似たようなモノを持っている人は世の中にはいるようです。
今はただ、その自分が居心地がいいと思える場所にいないだけ、その場所が見えないだけ、なのかも知れません。
だけど、そういう、「ここが自分の居場所だ」と思える場所は必ずあります。
そのためには探さないといけないかも知れない。すぐには見つからないかも知れないけれど、だけど、必ずあります。
波長は変わってゆく
波長にはもう1つ、特徴があって、それは何かというと、変わってゆく・・・ということなんです。
今、自分が出している波長は一生続くわけではなくて、例えば、来年にはその波長が変わっているかも、知れない。
自分が変わると、波長も変わるからです。
だから、例えば、今、居場所がないと思っていたとしても、それがずっと続くかと言うと、同じ場所であっても、そうとは限らない。
自分の波長も変わるし、周りの人も同じように、少しづつですが、変わってゆくことがあるからです。
そう思った時、例えば、自分を変えてみようと思うことや、成長するために何かをはじめようと思うことはいいことなのかも知れません。
それによって波長が変わるから、そして、それによって、自分の居場所が見えてくることがあるからです。
そこに残ること、そこから旅立つこと
自分の居場所がないと思った時、そこに残るという選択肢とそこから旅立つという選択肢があると思うんです。
場合によってはそこに残るしか選択肢がないこともあるかも、知れません。
だけど、そこに残ることも、旅立つことも、どちらも、自分にとっては自分を成長させることにつながってゆくと僕は思ってます。
そこに残るということは、自分を見つめること、自分と向き合うことにもなると思うんです。
それは、孤独な戦いでもあるかも知れません。
自分の居場所がないと思った時の辛さは味わった人でないとわからないものがあると思います。
だけど、その辛さを感じることであったり、時にはぐっと耐えることが、何よりも自分を成長させてくれたり、すると思うんですね。
勿論、必要な助けを求めることも時にはすごく大事なことです。1人で耐え続けてはだめです。
助けを求めることはとても大事なことで。
だけど、それでも最後は自分自身で向き合わないといけないものがあって、その辛さを感じたり、時にはぐっと耐えなければならないこともあるかも、知れません。
誰もそんな辛い思いはしたくはないものだけど、だけど、その辛い思いやぐっと耐えたことは決して無駄にはならないと、僕はそう思ってます。
旅立つという選択肢は、まだ見ぬ、新しい自分の未来につながってゆくのかも知れません。
旅立つことはでも、大きな勇気がいります。
だけど、もし、こんなことがやりたい、こういう日々を送ってみたいという具体的な「行き先」が見つかった時は、思い切って飛び込んでみるのも一つの方法かも知れません。
僕自身は居場所がないと感じ始めてから10数年の月日が経った頃、思い切って飛び込んでみようと思えました。
その日から、さらに10年が経ちましたが、今、あの時に飛び込んでいってよかったと思える自分がいます。
そして、それ以前の悩み続けた10数年が、その時はとてもそんな風には思えなかったけれど・・今の自分を支えてくれていると感じています。
自分が輝ける場所が必ずある
僕の話は少し置いておいて・・・
僕は人には、その人が輝ける場所が必ずあると思うんです。
輝ける場所なんていうと、大袈裟に聞えるかも知れないけれど、人には必ず、「ここだと思える場所」があると思うんです。
合う場所と合わない場所がある。
また、全部の場所でここだと思えなくてもいいと思うんですね。
全部の場所で素の自分ではなくていいというか。その場所なりに、それなりに、やってゆければいいという場所もあってもいいと思うんです。
全ての場所でここだと思えなくてもいい。
だけど、ここだと思える場所は必ずあるように思います。
自分の居場所がないと思ってしまうような経験をすると、それがある種のトラウマのようになって、人付き合いそのものを避けるようになってしまうことがあります。
ただ、もしかしたら、そもそも居場所がなかったのは、それは誰のせいでもなく、ただ、その時の自分に合わなかっただけなのかも、知れません。
居場所がないのは自分の弱さのせいだと思う方ももしかしたらいらっしゃるかも知れません。
僕がそうだったんですね。
だけど、たとえ弱さがあっても、それでも、自分に合う場所、自分がここだと思える場所というのは、必ずあるものだと思います。