憎しみが消えない時にできる3つのこと
憎しみが消えない。
人を憎んだり、考えては嫌な気持ちになることに疲れて、そんな気持ちを捨ててしまいたい、憎しみを消してしまいたいけれど、それができない。許そうとしても、許せない。
そんな時、消えない憎しみで心が一杯になった時には、どうしたらいいのか?どうしたら心が楽になるのか?ということについて今回は考えてみたいと思います。
憎しみといっても色々な形がありますが、今回は、自分にとても近い存在の人、親であったり、自分のパートナー、彼や彼女、家族の誰かであったり、または仲がよかった友人であったり・・
そんな自分に近い(近かった)存在の人に対して憎しみを感じてしまって、相手から離れてみたけれど、それでも、時間が経っても憎しみが消えない、本当は許したいのに許せない・・・そんな時にどうしたらいいのか?ということについて考えてみたいと思います。
目次
消えなかったら、消そうとしなくていい
憎しみを消すことができたら一番いいのかも知れません。
許すということについては少し後で書かせていただきますが、ただ、憎しみを消すというのはとても難しいことだと思います。
そして、多くの場合、人は誰もが何か、どうしても許せないことであったり、消すことのできないマイナスな記憶というものを抱えているものだと思います。
そういう許せないことや辛い記憶を持たないまま、人生を終えたという人はいないのかも知れません。
そういうことを思うと、自分だけではないと思うと、気持ちは少し、楽になれるのかも知れません。
少し話がそれましたが、消そうとして消えない憎しみは、消そうとしなくてもいいのかも知れません。少なくとも、今は。
自分に近い人のことを、憎んでしまうようなことが起こった。
そんな辛いことが起こって、その記憶を忘れられなくても、それは当然のことではないかなと、思うのです。
僕にもそんなどうしても忘れられない記憶があります。
そういうことを忘れよう、忘れようとしていた頃は、どんどん深みにはまってゆくようで、まるで忘れようと思うほどに忘れられなくなってゆくようでした。
忘れようと思うほどに、忘れられなくなってゆくのには、どうも理由があるようです。
憎しみの感情は、癒されたくて湧いてくる
憎しみの感情が、長い時間が経った後も、何度も湧いてくるのには、理由があるようです。
そして、その理由には、実は相手はそんなに関係ないのかも知れません。
何故、憎しみの感情は長い時間が経っても何度も湧いてくるのか?
ということですが、それはもしかしたら、癒されたくて湧いてくる・・のかも知れません。
感情というのは、何か理由があって湧いてくるものだと思います。
憎しみという感情も理由があって、それはきっと、癒されたいと願って、湧き上がってくるのではないかな、と。
憎んでしまうほどの辛いことがあって、その時にひどく傷ついた自分がいるわけです。
その時、傷ついた自分というのは、今の自分とは別の、もう一人の自分です。
過去に存在していた自分です。
その過去にいた自分が感情というものに形を変えている。
そのひどく傷ついた自分は「憎しみ」という感情に形を変えて、今も尚、自分の中に存在しているのかも知れません。
その過去の自分(憎しみという感情)は、辛い思いをして、そして、その辛い思いを癒してほしいと願って、湧き上がってくる。
でも、誰に?
誰に癒して欲しいのか?
というと、それは、今の自分に、だと思うのです。
というのも、感情というのは、すべてが自分に向けて何かしらのメッセージを発信しているもので、それは誰かに向けられているように見えても、実は自分自身に向けられているもののようです。
しつこく湧き上がってくる憎しみという感情は、もしかしたら、湧き上がってきた時に自分自身に無視されてしまったから、癒されていないから、癒されたくて、何度もしつこく湧き上がっているのかも、知れません。
だから、憎しみの感情が湧き上がってきた時に、その感情を消そうとすることは、過去にいた自分の気持ちを無視していることに、もしかしたらなるんじゃないかなと、思います。
じゃあ、どうしたらいいのか?
というと、これは体調や心の調子が悪い時の心の持ち方、自分の許し方でも書かせていただいたことですが、
自分の感情というものを、悪いものだと判断せずに、また、排除しようとしたり、否定しようとしたりせずに、ただ、その感情や気持ちをあるがままに受け止めるということだと思います。
憎しみの気持ちが湧き上がってきても、「今はそれでいい」「そう思ってもいい」とその湧き上がった気持ちをあるがままに受け止めてみます。
それは勇気がいることだと思います。
憎しみという感情はとても強い感情で、その感情を感じている時は、自分もひどく疲れますし、苦しくなります。
それでも、苦しくても、「今はそれでいい」「憎んでもいい」とその気持ちを排除しようとせずに受け止めてみます。
すると、その時は辛い気持ちが続いても、その気持ちを受け止めているうちに少しづつ、気持ちが楽になってゆくことがあります。
そういうことを、その憎しみの感情が湧き上がる度に続けてゆきます。
すると、少しづつ少しづつ、その感情が湧き上がってくる回数が少なくなっていったり、します。
ただひたすら、その過去にいた自分とその自分の辛かったんだという気持ちを受け止めてゆきます。
それを続けてゆくことで、また、その気持ちを受け止める度に、過去にいた自分は癒されて、そして、安心してくれるようになって、そして、今の自分の気持ちもぐっと楽になれる。
そんなこともあります。
傷を抱えながらでも、幸せになる
どうしても許せないことであったり、捨てることのできない気持ちというのは、誰にでもあるものかも知れません。
相手を許したいのに許せない。そんな時にできる2つのことでは許すということについて書かせていただきました。
どうしても許せないこと、特に憎しみの感情まで持ってしまったような出来事やその相手を許すなんてことは難しいことかも知れません。
そんな時はでも、その出来事ではなくて、その相手でもなくて、ただ、許せないでいる自分だけは許せたらいいのかも知れません。
許せなくてもいいんだと。
そう思えた時、気持ちは少し、楽になれます。
そう、許せないものは許せなくていいんだと思うのです。
相手は許さなくていい。またはその出来事は許さなくてもいい。
だけど、許せないでいる自分は、「今はそれでもいい」と許してみるというか。
そうやって、自分の中にある気持ちを許し続けていると、ふとした瞬間に、憎しみの感情が薄れてゆくような感覚になることもあります。
そうなった時にできることがあって、それは何かと言うと、相手への執着を少しづつでも、手放してゆくということです。
相手への執着を手放すとは、「相手のことを諦めること」でもあります。
例えば、「そういう人なのだ」と諦めることも、「相手は変わったりはしない」と諦めることも、相手への執着を手放すことにつながってゆくと思います。
諦めるという言葉の本来の意味は「明らかにすること」だと、ある方がおっしゃっていましたが、諦めるためには、明らかにしなければならないこともあるかも知れません。
また、もし、今回のケースのように、相手が自分にとって大切だった人であれば、その相手や相手がしたことを許せなくても、その相手の人がそれまで自分のためにやってくれたことを思ってみることも、相手への執着を手放すことに繋がってゆくことがあります。
許せなくても、そのこと以外で感謝できることはないか?
そう自分に問いかけてみて、感謝できることはないわけじゃないと思えたなら、その時は自分のために、相手のためじゃなくて、自分自身のために、感謝してみる価値はあるのかも知れません。
それもまた、一つの執着の手放し方だと思います。
また、時には相手のことを間違っていると、わからせてやりたくなることがあるかも知れません。
だけど、それは相手に執着していることになってしまい、それは自分が苦しむ原因になってしまうことがあります。
そんな時には、人の在り方よりも、自分の在り方に目を向けて、自分がどんな自分でいたいかと大切にしてゆくことも大事なことなのかも知れません。
気持ちを相手に向けると、泥沼にはまってしまったかのように身動きがとれなくなってしまうことがあります。
気持ちを自分に向けると、その時は苦しくても、もう両足は泥沼からは抜け出ていて、自由になれます。
心が自由になれたら、もっと違うことに目が向くかも知れません。
例えば、これからの幸せとか、喜びとか、楽しみとか。
もっとも、心にできた傷は、手足にできた擦りむき傷のようにすぐに消えたりはしないし、そのまま残り続けるものもあるかも知れませんが、それでも、大事なことは、その傷を抱えながらでも、幸せになること、なのだと思います。