お釈迦様の教えと「執着」
僕は特に信心深い・・・というわけではないのですが、お釈迦様が語られた言葉を調べたりすることが好きです。
僕には難しいことはわかりませんし、専門家でもありません。ただ、お釈迦様が語られたことで常に自分の心の中にあることが1つあります。
お釈迦様は多くの教えを残されていて、ただそういったことをまとめてゆくと、お釈迦様は「執着を手放せば楽になれる」・・・そうおっしゃっていたのだと思います。
お釈迦様がおっしゃった「苦」とは?
お釈迦様は「四苦八苦」という言葉を使われていますが、この「苦」というのは、現代で使われている「苦しい」ということではどうもなかったようなのです。
じゃあ、何だったのか・・・ということですが、お釈迦様はこの「苦」とは「自分の思い通りにいかないこと」という意味として使われていたようです。
もっというと、自分の思い通りにしたいという思いがあることがそもそも悩みや苦しみを生んでいるということになるのだと思います。
苦しみというものがイコール「自分の思い通りにならないこと」だとしたら、今の悩みから抜け出すにはそれを捨てること・・・それがお釈迦様が伝えようとされたことの1つだったのだと思います。
執着を捨てれば、自分が楽になれる
自分の思い通りにならないという苦しみは、「こうしたい」「こうでなければならない」という「思い」があるからこそ生まれるものです。
この「思い」はよく執着などと呼ばれますが、お釈迦様の教えはこの執着を手放しなさい、そうすれば楽になる・・・そういうことに尽きるようです。
ストレス・・・それは自分の思い通りになっていない状態の時に生まれるものだと思うんです。
だから、自分が嫌な気分になった時には、自分は何に執着しているのだろうか・・・そう思うことで解決の糸口が見えてくることがあります。
悩んだ時、苦しい時・・・それは自分の中に何らかの「思い」がある証拠であり、その執着を手放すことができたら、自分が楽になれる・・・そういうことだと思うんです。
思いを捨てる
思いを捨てる・・・それができたら、悩みや苦しみからは解放されます。
でもそんなこと、簡単にはできないと思うんです。それにどうしても捨てることのできない思いや気持ちもあると思うんです。
僕自身、ずっと捨てられない思いに苦しめられてきましたし、悩んだり落ち込んだり、時にはもうだめだと思ったこともあります。
だけど、少し捨てて少し楽になれて。
だから、少しづつ自分から手放してゆこうと思えました。
最初はそんな感じでしたが、思い通りにしたいと思わなければ、思い通りにならないと苦しむこともなくなるわけで、その時はじめて、お釈迦様の教えの意味にほんの少しだけ・・触れることができたような・・そんな気持ちになりました。
はじめの頃はこれは修業なんだと思うことでやる気になりましたが、色々なことを実践してみて感じるのは、辛いと思ってやっていたことは結果的に身に付くことがなく、楽しみながらやっていたことは自分を救ってくれた・・・ということです。
今、修業なんだと思うことは少なくなりました。
そうじゃなくて、これは僕に与えられたゲームなんだと、謎解きなんだと思いながらやってみる。
そして、この謎を解いたら今までの苦しみが楽しみや喜びに変わる・・・そう思ってやることで継続できるのではないかなと思っています。
勿論、人生はゲームだなんて簡単には言えないこと、苦難や困難もやっぱりあるわけで・・・。どうしても手放せない思いだって、人には必ずあると思うんです。
そして、それはすべて捨てることなんて少なくとも僕にはできないし、無理に捨てようとして頑張る時間があるほど、人の人生は長くないのかも・・知れません。
でも、少しだけでも思いを捨てることができたら、また、少しだけでも物事の見方を変えることで、感じ方も変わってくることがあると、僕はそう思ったんです。