自分らしく生きること、人に嫌われたくない、好かれたいと思うこと
自分らしく生きることは、時にとても勇気がいることだと思うんです。
人に嫌われたくないという思いが邪魔をするからです。
ただ、自分らしさというのは嫌われたくないと思うほどに失われていって。
好かれたいと思うほどに、また、失われていくようです。
今回は自分らしくいることと、人に嫌われたくないと思うことについて、少し考えてみたいと思います。
好かれたいと思うと失われてゆく自分らしさ
自分らしさというのは、好かれたいと思うほどに失われてゆく、嫌われたくないと思うほどに失われてゆく・・・そんなものなのかも知れません。
だから、自分らしくいたいと思った時に必要なのは、人に嫌われてもいいという勇気のようなものなのかなと、思うんです。
人はだけど、嫌われたくはないものだと思うんです。
できれば好かれたいものだと思うんです。
だけどひとつ、問題があります。
それは世の中は何を言っても、何をしても、自分を好きにはなってくれない人、自分を嫌ってくる人がいるようにできている、ということです。
自分が自分でいるだけで必ず、嫌ってくる人がいます。
人に嫌われたくないと思った時、自分を変えようとしてしまったり、本当の自分とは違う自分を演じようとしてしまうことがあるかも知れません。
それで、嫌いにならずにすんでくれる人も、もしかしたらいるかも・・知れません。
だけど、今度はその演じている自分を嫌いな人が出てきます。
何をどうやっても・・・必ず自分を好きにはなってくれない人が世の中にはいるようです。
ただ、その反対に、自分が自分でいるだけで好きになってくれる人もいます。
何も良く見せようとしなくても、ただ、自分のままでいるだけで、そんなあなたがいいと言ってくれる人が世の中には必ずいます。
数で言ったら、自分を好きにはなってくれない人も自分のままでいいと認めてくれる人も、同じ位いるのかも知れません。
そして、そのどちらでもないという人も一定数いるようです。
嫌われたくない、好かれたいと思うことは、自分のままでいることを良しとしてくれない人達、自分を好きになるわけでもないけど、嫌いになるわけでもない人達のために、自分を変えようとすることでもあるのかも・・知れないですね。
ただ、一つ問題があって、自分を変えてしまえば、本来の自分のままで認めてくれた人達、自分のままでいるだけで、そんなあなたがいいと言ってくれる人達が離れていってしまうことです。
好かれるために自分を演じるほど、そんな人達が自分から離れていってしまう。
自分が自分のままでいるだけで認めてくれる人は世の中にどれだけいるでしょうか?
それは世の中にいる人の2割と、そう指摘される心理の専門家もいます。
僕は何割なのかはわかりませんが、ただ、自分らしくいるためには、自分のままでいるだけで認めてくれる人達以外の(もし自分を認めてくれる人が2割であれば)残りの8割の人達に認められなくてもいいと思える勇気が必要なのかも知れないなと、思っています。
多くの人から好かれる人がやっていること?
少し話は変わりますが、世の中には(先程の自分のままでいるだけで認めてくれる人達が2割いると仮定すると)、6割、7割、そして時には、8割の人達から好かれている人もいます。
何をどうやっても好きになってくれない2割の人達はどうにもなりませんが・・・自分のままでいるだけで認めてくれる2割の人達と残りはどちらでもない6割の人達。
その6割の人達がその誰かを好きだと思うのは、その人が自分に何かを与えてくれるから・・・だと思うんです。
それは目に見えるものだけではなくて、目に見えないもの、勇気ですとか、やる気ですとか、癒しですとか・・・いずれにしても、何かをその人から得ている。
だから、そうやって多くの人達から好かれている人達は、何かを多くの人に与え続けている人なんだと思います。
与えているのは、思いやりや気遣いかも知れませんし、勇気や癒しであったり・・etc.
誰かに勇気を与えるのは大変なことですし、多くの人に癒しを与えるには並大抵のことをしてもだめで、沢山の努力が必要です。
そのどちらでもない6割の人に好かれるのは大変なこと・・・だと思います。
好かれたいという気持ちは自分が好かれたいわけなので、自分への思い、なわけですが、相手に何かを与えるには、相手のことを思わなければならないわけで、その中に自分への思いはあまりありません。
だから、多くの人に人気がある方は好かれたいという思いはもしかしたら、そんなに多くはないのかも知れません。
自分への思いがなければ(好かれたいという思いがなければ)、嫌われたくないという怖さもなくなるのかも。
話は前後しますが・・・自分への思いはあまりないのに、誰かに与えたいと思い続けるなんて、とても難しいことのように思います。
だけど人には、喜ばれると嬉しくなるという、そんな特徴があるようです。
人に喜んでもらいたいという思いの中に自分への思いはありません。だから、嫌われる怖さもない。
だけど、喜ばれると嬉しくなるから、自分自身も何かを得ているわけで。
そんなことを考えてゆくと、好かれたいと思うより、喜ばせたいと思ってみることで、結果的には好かれる人になる、人気がある人になる・・・のかも知れないですね。