自分に自信を持つ方法。本当の自信を持つために必要なこととは?
自信には、2つの種類があります。
1つは、比較的手に入れやすいけど、失うのも早い自信。
もう1つは、手に入れるのに多少時間はかかるけど、簡単には失ったりしない自信です。
本当の自信というのは、恐らく、後者の「簡単には失うことのない自信」なのだと思います。
今回は、その2つの自信の違いについて、また、後者の本当の自信を手に入れるためにどうしても必要なことについて、見てゆきたいと思います。
目次
自信には2種類あった。どっちを持ったらいい?
性格心理学の専門家、根本橘夫さんは自身の著書の中で、自信には2つの種類があると語っています。
その2つとは、
- 1)表層(ひょうそう)の自信
- 2)深層(しんそう)の自信
の2つになります。
1)表層の自信
表層の自信とは、例えば、何かの能力やまたはスタイルや容姿などが優れていることで得られる自信のこと。
また、何かよい結果を出して得る自信もこの表層の自信に入ります。
何かの大会で優勝した・・ということもそうですし、または、出世したとか、○○大学に合格した・・といったことで得る自信もこの「表層の自信」になります。
根本さんは、この表層の自信は、「限定的な自信にとどまってしまって、心全体の自信にはならない」と言います。
例えば、「学校の勉強がいくらできても、社会で生活してゆく自信にはならないし、容姿に自信があっても、仕事に対する自信が持てるわけではない」と。
この表層の自信ですが、簡単に言うと、目に見えるものから得る自信ということになると思います。
そして、このタイプの自信は、もう1つの自信に比べると手に入れやすい反面、失ってしまうのも早いのが特徴です。
2)深層の自信
深層の自信とは、自分や自分という存在に対する肯定感のようなものです。
根本さんは、「(深層の心理とは)自分という存在自体への信頼」という風に語っていらっしゃいます。
少し言い換えると、良いところも、悪いところも含めて「自分は自分のままでいい」という自分に対する肯定感が深層の自信になります。
この深層の自信が自分の中にある場合は、自分の価値(自己価値)や自分という存在を自分でしっかりと認めることができているので、例えば、人の言葉に傷ついたり、人の言葉に大きく左右されたりすることがなくなってゆきます。
自分の価値という風に書かせていただきましたが、この自己価値を自分で認められているかどうかということが、イコール、自信があるかないか・・ということに直結してきます。
自己価値を自分で認めるといっても、それは、自分は人に比べて価値のある人間だ・・と思うことではなく、「こんな自分でもいいかな」と思える、そんな穏やかな自分に対する肯定感のようなものを持つことが、自己価値を認める・・ということになります。
先ほどの表層の自信に比べると、この深層の自信はある意味、目に見えないもので得る自信と言えるかも知れません。
このタイプの自信ですが、表層の自信に比べると、手に入れるのに多少時間がかかりますが、一度手に入れてしまうと、なかなか失うことがないのがその特徴になります。
この2つの自信、
- 1)表層の自信
- 2)深層の自信
どっちを持ったらいいか?というと、揺るぎない自分に対する自信を持つには、2)「深層の自信」を持つ必要があるように思います。
表層の自信は、例えば、結果を出せば手に入ります。だけど、結果が出なかった時に自分に対する自信を失ってしまう。
一方、深層の自信は、少し後でご紹介しますが、結果に左右されません。
結果ではなくて、過程の中で得てゆく自信だからです。だから、たとえ、結果が悪かったとしても、そう簡単にはその自信を失ったりはしません。
深層の自信は、揺るがない自信なのだと思います。
ここからは、この深層の自信を持つ方法について見てゆきたいと思います。
結果より過程を大事にする自信のつけ方
結果を出して得る自信や誰かに評価してもらって得る自信・・そういう自信もあると思います。(これは表層の自信になります)
ただ、こういった自信はどちらかというと失いやすい自信なのかも知れません。
というのも、どちらも自分ではどうにもコントロールできないから・・です。
結果というのは、自分以外のものに左右されることがあります。自分ではやれるだけのことをやっても結果にならないこともあります。
自分でコントロールできる領域と、自分ではコントロールできない領域があったとします。
結果は自分ではコントロールできない領域にあるものだと思います。
自分ではコントロールできない領域にあるものから自信を得たとしても、それは失いやすい自信になることが多いかも知れません。
一方、自分でコントロールできる領域にあるものを大事にしてゆくと、そこで得た自信は揺るぎない自信になることがあります。
結果が自分ではコントロールできない領域にあるとしたら、そこまでの過程(プロセス)の部分は自分でコントロールできる領域にあるものです。
自信とは「自分を信じる」と書きますが、結果を出すこと、成果を手にすることで・・自分を信じられることもあると思うんです。
次に同じ場面に出くわした時、以前に結果を出したという、信じられるものがあるからです。
ところが、次の場面で結果がでなかったとします。すると、成果を失ったことで、自分を信じられなくなってしまうかも知れません。
一方で、結果そのものではなくて、そこに至るまでの自分の在り方ですとか、自分でこうありたいと思ったことを実践しようとするその姿勢とか・・・そういった結果の一歩手前にある過程(自分にコントロールできるもの)を大事にすることで得る自信というのは失いにくい自信、もしくは「深層の自信」になるように思います。
また、そうやって自分の在り方ですとか、そこまでに至るまでの自分の姿勢や努力、頑張ってきたこと・・・そういうことに目を向けることが、先ほど書かせていただいた、自己価値を認めることにもつながってゆくように思います。
結果で自分を評価しようとするやり方はそういう意味では、自分のそれまでの過程、自分が頑張ってきたことや自分の思いや姿勢といったものを無視していて、そのやり方は自分に対してフェアではないと思うんです。
例えば、人から自分が出した結果を褒めてもらったりすると、やっぱり嬉しいものだったりします。
だけど、もっと嬉しいのは、そこに至るまでの自分の頑張りとか、自分が一生懸命になっていたこととか、そういう結果そのものには映らないものを見てもらった時だったりすると思います。
自分自身でも、結果のような、ある1点だけを見るよりも・・・それまで自分がやってきたことやそれまでの自分の姿勢といった過程の部分を見ることもできるかも知れません。
つまり、結果ではなくて、過程を見て自分を評価する、判断する・・ということになりますが、そうやって得た自信は、結果を出して得る自信より、もっと揺るぎない自信へとつながってゆくように思います。
もっとも、結果を求められることもあると思うんです。また、どうしても結果を出したい時だってあると思います。
ただ、結果より過程を大事にして得る自信というものがあって、そして、そうやって得た自信が結果的に、結果につながることはあるかも知れません。
自己価値を自分で認めることが、イコール、自信になる
先ほど、自信の2つの種類のところで、自己価値を自分で認められているかどうかが、イコール、自信があるかないかに直結してくる・・そんな風に書かせていただきました。
自分に自信を持てるかどうかは、この自己価値を自分で認めることができるかどうか次第といっても過言ではないかも知れません。
先ほどの結果よりも過程を大事にする・・ということも、この自己価値を自分で認めるための1つの方法になります。
でも何故、(自信を持つために)自己価値を自分で認める必要があるのでしょうか?
例えば、他人に認めてもらってはダメなのでしょうか?
これは実はダメなんですね。
他人に認めてもらっても、それは本当の意味の自信にはならない。
もっとも、他人に認めてもらって得る自信もあります。ただ、それは表層の自信にしかならず、次に人から認めてもらえなかった時にはその自信を失ってしまいます。
少し僕(筆者)自身の話をしますが、僕自身、長い間、「表層の自信」を持つことが自信を持つということだと思っていました。
だから、結果ばかり気にしていたし、何を成し遂げたかということが重要なことだと思っていました。
ただ、そのやり方でたまたま自信を得ることができた時も、内心はどこか不安でした。
それは、結果を出したり、人に認めてもらうことで得た自信で、自分自身では自分のことを殆ど認めていなかった、評価していなかったからです。
つまり、「自分はダメだ」と心の中ではずっと思い続けていたために、何をやっても本当の意味での自信が手に入らなかった。
自分を自分で信じていなかったから、です。
だけど、そんなことは全く気づきませんでした。何か結果を出そう、何かを成し遂げよう、何者かになろう・・・としていた。「自分はダメだ」という気持ちを振り払うためにです。
でも、それではダメなんだということ、ここまで書かせていただいた自己価値を自分で認めることができない限り、本当の意味での自信は手に入らないということがようやくわかりました。
自分を認めて「本当の自信」を手に入れる方法
自己価値を自分で認めることができない限り、本当の自信は手に入らない。
そんな風に書かせていただきましたが、では、どうやったら自己価値を自分で認めることができるでしょうか?
少し話は変わりますが、自己価値が低い、もしくは自己価値を認めることができていない人の中には、子供の頃に自分を否定された経験のある人が多いそうです。
そして、否定されて育った人は、周囲がしたこと、つまり否定するということを、自分自身に対してもしてしまうようになります。
だから、自己価値を認めることができない人は、自分のマイナスなところばかりに焦点を当てていることが多く、それがまた自己価値を下げる原因になっています。
自己価値を認めるためには、その習慣を断ち切る必要があります。
そして、その反対のことをしてゆく必要がある。
つまり、自分のマイナスなところではなくて、自分のプラスなところに焦点を当てることを習慣にしてゆく必要があると思います。
ただ、自己価値を認めることができていない状態だと、何も考えなければ、自分のマイナスなところが思い浮かんでしまうので、それを断ち切るのは簡単なことではないかも知れません。
だから、意識して続けてゆく必要があります。自分のプラスなところに焦点を当てるということを。
これはもう練習のようなものだと思うんですね。
繰り返し、何も考えなくてもできるようになるまで練習してゆく。
具体的な方法ですが、例えば、1日の終わりに自分のよかったところを3つ書き出してみるという方法もおすすめです。
これを毎日続けてゆきます。
自分のよかったところは、ここまで見てきたように、人に比べてよかったとか、何か結果を出したとか・・そういうことではなくて、例えば、過程のようなものだったり、または自分の在り方、心の姿勢のような目に見えないものの方がいいかも知れません。
例えば、
「今日は疲れてたけど、よく仕事を頑張った」
・・でもいいわけです。これは諦めなかったとか手を抜こうとしなかったという自分の姿勢を認めています。また、頑張ったという過程を認めています。
「人の話を親身になって聞こうとした」
・・でもいいです。これも親身になって聞こうとしたという姿勢や自分の在り方を認めています。
自分を認めるなんてできそうにない・・そう思う人もいると思いますが、こんな風に自分の姿勢とかあり方、過程のようなものであれば、案外、自分のよかったところは見つかるものです。
そうやって、自分の良いところに焦点を当ててゆくと、面白いもので、そういった行動を増やそうという気持ちに自然となってゆきます。
僕のような自己価値を認めることができなかった人間にとっては、「自分で自分をそれでいいと思える感覚」はとても新鮮で、そして、それは色々なことから心を楽にしてくれるものであって、だから、もっとやってみようと思えたりします。
そんな風にして、自分で自分を、もしくは自己価値を認めるということを続けてゆくと、それが自分に対する肯定感になってゆきます。
そして、その自分に対する肯定感こそが、自信というものなのかなと、思います。
この自分を自分で認めるために僕自身がやったことは、自己重要感に関する記事、自己重要感という悩みの根源。自己重要感を高める2つの方法でもう少し詳しくご紹介していますので、よかったらそちらを参照ください。