継続力を身に付ける6つの方法とは?
物事を継続する力、継続力はどうやったら身に付けることができるか?
僕はそんなことをよく考えていました。
自分に継続力がなかったからです。
その時、そのタイミングで集中することはできても、何年も何年も何かを継続してゆくということが苦手でした。
だからこそ、ずっと何かを続けている人はすごいなと思っていたし、どうやったらそういうことができるのかとよく考えていました。
そうやって継続するために必要なことを探してきてわかったことがいくつかあるのですが、それは自分が思っていたよりもずっとずっと、手が届くものだったのです。
今回はそんなことについて書かせていただきたいと思います。
続けるのではなくて、挑戦し続ける
継続力がある方々がやっていたことの1つは、物事をただ続けるのではなくて、挑戦を続けているということのようでした。
人の脳はどうも、成長したり、上達したりすることに喜びを感じるようにできているようです。
一方で、人の脳は何かに慣れる力が備わっていて、同じことの繰り返しだけではその刺激に慣れてしまって飽きてしまうことがあります。
もっとも、そうやって刺激に慣れる力があるからこそ、新しい環境にも慣れることができたりするわけですが。
ただ、そういう意味で、人の脳は挑戦することが好きなのかも知れません。
挑戦することは新しい刺激になります。挑戦するからこそ、成長したり、上達したりします。すると脳は達成感を得て、喜びを感じるようにできていて。
しかし、大事なのは「挑戦すること」よりも「挑戦を続けること」のようです。
大きなことに挑戦するのもいいのですが、達成するまでに時間がかかり、達成感を継続して得ることができません。
挑戦しなければ、そもそも達成感も得られません。
そう考えると大事なのは、小さなこと、ちょっと手が届かないかな・・位のレベルの何かに挑戦することなのかも知れません。
目の前の小さなことであれば、達成できるかも知れません。
そうやって小さな挑戦を繰り返すことで、脳に上手に達成感を与えながら、次も挑戦して達成感を得たいという気持ちが湧いてきます。
その繰り返しが、継続する力になるようです。
避けると続かず、目指すとうまくいく
何かを継続するにはまた、明確な動機を持っておく必要があるのかも知れません。
そこがブレてしまったり、ズレてしまうと、続くものも続かなくなることがあります。
何かをはじめる動機というものは大切だと思うんです。
好きだから、楽しいと思ったから。
そういう理由ではじめたことは続けられることがあります。
だけど、例えば、こういうことはやりたくないから、こっちを選んだ・・・という、何かを避けるために、言ってみれば消極的な動機で始めたことは続かないことが多いようです。
または、こういう風に思われたくないからはじめた・・・という理由も、何かを避けようとしていて、それもまた、消極的な動機になるかも知れません。
そうやって、何かを避けようとして何かをはじめると、継続する力を途中で失ってしまいやすいようです。
何かを継続するには、避けるのではなくて、目指してゆく必要があると思うのです。
そのためには、自分が避けたいことよりも、自分が目指したいもの、やりたいことは何なのかと自分に問いかけてみる必要があるのかも知れません。
例えば、太っていると思われたくないからジムに行こう・・・は何かを避けるために何かをはじめようとしていることになります。
そうではなくて、ジムに通って体を鍛えて、彼女(彼氏)を作るぞ!ということであれば、それは何かを目指していることになり、動機も明確になっていることになると思います。
また、やりたいことという意味では、人は本当はやりたいことは案外持っているものだと思うのです。
ただ、自分にはできないと思っていることが多いかも、知れません。
自分にはできないと思うから、諦めてしまうこともあって。そうやって、諦めてゆくことを続けると、いつしか、やりたいことがない・・・となってしまうこともあります。
だけど、やれるかどうかはやってみないとわからないものだと思うのです。
そして、やってみないとわからないようなことだからこそ、それが挑戦になって、そして、それがまた、先ほど書かせていただいた、挑戦し続けるということにもつながってゆくのだと思います。
意味や意義を求めすぎると続かない
継続力はまた、その何かをすることの意味や意義を求めすぎてしまった時に失ってしまうことがあるようです。
何かになろうとしていたり、何かを成し遂げようとしていたり、または人と自分を比べて(勝とうとすることで)自分がそのことを続ける意義を見出そうとすると、最初は高い集中力を保てても、何かのきっかけでやる気を一気に失ってしまうことがあります。
例えば、野球をやっていたとします。
レギュラーにならないと意味がないと思うと、レギュラーになれなかったり、レギュラーから外された時にやる気を失ってしまうかも知れません。
だけど、ただ、野球が好きだからやっているという人は、何かを成し遂げようとしているわけでも、人と比べようとしているわけでもなくて、だから、そういう人は大人になっても、ずっと草野球を楽しむことができたりする。
仕事でも、何か意味や意義を求めすぎてしまうと、やはり同じようにモチベーションを失ってしまうことがあります。
この年齢でここまで出世できないと意味がない・・例えば、そう思ったとします。
勿論、出世することも大切なことだと思いますし、出世という目標があることも、継続力につながってゆくことだと思います。
ただ、出世しないと意味がないとなってしまうと、例えば、出世が遅れてしまったような時にやる気を失ってしまうかも知れません。
だけど、出世すること以前に、例えば、自分は接客業が好きだからという理由でその仕事を選んだのであれば、その理由が(出世という目標以前に)大切なことなのかも知れません。
そして、そこを自分の基礎というか、そこを自分のベースにした上で、出世することを一つの目標にしてみます。
「接客業が好き」というベースの上に、出世を目標にしてみると、たとえ、出世が多少遅れても、または思うようなペースで出世できなかったとしても、がっかりすることはあっても、仕事のやる気そのものまで失ってしまうことはないかも知れません。
意味や意義を求めることは時に大事なことでもあると思うのですが、それらを求めすぎてしまうと、それがやる気を失ってしまうきっかけになることがあります。
意味や意義を求めすぎてやる気を失ってしまった時は、何故やりたいと思ったのか、何故これを選んだのか・・・という最初のスタートの部分に戻ってみると、本当に大事にしなければならないことが見えてくることがあります。
人と比較すると続かない
継続力というのはまた、誰かと自分を比較した時に失ってしまうことがあります。
誰かと自分を比べて勝とうとすると、勝っていると思っている時はモチベーションを高く保てるのですが、負けていると思った時、突然のようにモチベーションを失ってしまうことがあります。
それは先ほどの話と似ていますが、勝たないと意味がない・・・と思ってしまうと、最初にその何かをはじめた理由を見失ってしまうから、かも知れません。
好きではじめたことなのに、興味を持ってはじめたことなのに、人と比べようとした途端にいつの間にか、その最初の理由を忘れてしまう・・
そんな時、やる気を突然のように失ってしまうことがあります。
誰かと切磋琢磨することはとても大事なことだと思いますし、ライバルを持つことは自分を磨いてゆく上ではとても大切なことだと思います。
ただ、誰かと自分を比べて、そしてやる気を失ってしまった時は、先程のように最初にそれを選んだ、またははじめた理由に一度戻ってみる必要があるのかも知れません。
もっとも、スポーツの世界では誰かと競い合うこともあるわけで、誰かに勝つということは特にプロの世界では大事なことだと思います。
そういう意味では仕事もそうで、やはり、どうしても、誰かとまたはどこかの会社と競わなければならないこともあると思うんです。
ただ、そういう競争の中でも、誰かに勝つことを最終的な目標にすると、途中でモチベーションを失ってしまうことがあったり、好きではじめたことが義務になってしまったりすることがあります。
それは誰かに勝つということの中に、自分ではどうにもコントロールできない要素が沢山含まれているから、かも知れません。
自分でコントロールできることであれば、自分ができたこと、できなかったことがはっきりしますから、できた時には達成感を、できなかった時には、次への課題を得ることができます。
ただ、自分でコントロールできないことを何とかしようとすると、それは結果そのものを何とかしようとするようなもので、例えば、運なんかも絡んできます。
すると、うまくいっても、勝ったということ以外、思うような満足感が得られなくなることがあって、そうなると、勝てなくなった時に一気にモチベーションを失ってしまうこともあります。
例えば、野球のピッチャーで例えるなら、思ったところに投げることを目標にするのは自分がコントロールできる範囲です。
打ち取る・・・というのは結果です。
勿論、投げる場所が悪かったから打たれることもあるわけですが、打ち取れると思ったところに投げるところまでを目標にした時、そこに投げることができれば達成感が生まれ、打たれても、自分の目標は達成したわけですから、悔しさや課題は残っても、思ったところには投げられたわけなので、少なくても、そのことについては自信になります。
また、思ったところに投げられたことで、次は打たれないところに投げればいいという希望にもなる。
これを、打ち取ることを目標にしてしまうと、思ったところに投げても、打たれてしまえば、自信を失うことになる。
もっとも、どちらのケースも、打たれたら次は打たれないようにしなければならないわけですが、そのためにも、自信が必要だったりします。
結果そのものを目標にすることは、(結果を出した時に)自信を得やすい反面、結果がでなかった時にそれまでの自信まで一気に失ってしまうことがあります。
一方で、自分がコントロールできる範囲のことを目標にすることは、つまり、結果ではなくて、過程を大事にするということになるのですが、そのやり方で得た自信は比較的失いにくい自信になることが多いようです。
自分だけでは得られない大きな喜びを得るには?
自分のためだけに何かをやること、僕は大事なことだと思うんです。
だけど、その次のステップとして自分がやっていることが誰かの笑顔につながることはないか、と考えていった時、これが案外、色々な道があることに気づいたりします。
人ってみんな違いますけど、だけど、自分が興味を持っていることとか、嬉しいとか楽しいとか、感動したと思えるものって、必ずどこかに同じように思ってくれる人がいて。
自分が自分のためだけにやっていたことが、もしそれが形を少し変えて、誰かが笑顔になってくれるようなことになった時、それは自分だけでは得ることができない大きな喜びに変わることがあります。
そのためにできることはきっと色々あって。そのために挑戦できることもきっと色々あって。
自分がやりたいこと、自分が好きなこと、または自分が興味を持ったことを自分のためにまずやってみて、その次のステップで誰かの笑顔も追ってみる。
それは、もしかしたら、どんなことよりも大きな継続する力に変わるかも、知れません。
継続力とはどんな力?
ここまで継続力を身に付けることについて書かせていただきました。
最後に矛盾するようなことを言うかも知れませんが・・継続させるコツは、「やりたくないと思ったらやらないこと」なのかも知れません。
つまり、自分の気持ちに素直に従うということなのですが、これは燃え尽き症候群の原因と克服方法、治し方とは?でも書かせていただいたことがありました。
人の心というのは一定ではなくて、上がったり、下がったりを繰り返しています。
だから、やる気が起きない時もあると思うのです。
そんな時、無理して頑張ると、やる気を失ってしまうことがあります。
それがいくら好きなことであっても、情熱を傾けているようなことであっても、その自分の(やる気が起きないという)素直な気持ちを無視し続けると、最後には燃え尽きてしまうことさえ、あります。
「これを継続しよう」と思ったことであっても、時にはやる気が起きない時もあると思うんです。
そんな時には、その自分の素直な気持ちに従う勇気が必要なのかも知れません。
やる気というのは、自分の気持ちに従って少し休んでみると、必ず戻ってくるものです。
ところが、その気持ちを無視して頑張ると、やる気が下がりっぱなしになってしまうこともあります。
勿論、例えば、仕事の場合は、
「やる気が出ません。今日は休みます!」
・・・とは、いかないわけですが、そんな時は上手に気を抜くというか、集中する場所や時を上手にコントロールすることも大切なことかも知れません。
人の集中力というのは案外続かないもので、1日中集中することも難しくて、1か月とか1年というスパン(期間)で集中し続けるなんてことはもっと難しいわけです。
だから、どこで集中するか、いつ集中するかは何かを継続してゆく上でも、また、自分のパフォーマンスのレベルを上げる上でも、大切なことだと思うのです。
そういうことを考えてゆくと、継続力とは、ずっと同じ熱量を持ち続ける力ではなく、上がったり下がったりする心の波を乗りこなす力のようなものなのかなと、僕はそう思っています。