燃え尽き症候群の原因と克服方法、根本的な治し方とは?
やる気を高く保っていた人が突然のようにモチベーションや、やる気を失ってしまうのが燃え尽き症候群です。
燃え尽きてしまうと、何もやる気が起きず、ある種の虚無感のようなものを感じたり、もう自分はダメなのではないかとさえ思ってしまうことがあります。
今回はそんな燃え尽き症候群の原因、回復方法、そして、治し方について書かせていただきたいと思います。
目次
- 原因は「頑張り方」にあった
- 自分の素直な気持ちに従うと燃え尽きなくなる
- 自分の素直な気持ちに従うとその後にやる気が高まる
- 回復方法について
- 「う・た・し」を実践してみる
- 目的に「楽しむこと」が欠けていた
原因は「頑張り方」にあった
燃え尽き症候群の原因の一つは、頑張り過ぎと言われています。
もっとも、頑張ることは決して悪いことではないと思うのです。それに、頑張っているから必ず燃え尽きるかと言うとそうではありません。
頑張っているように見えて、燃え尽きない人もいます。
ただ、燃え尽きてしまいやすい頑張り方と、燃え尽きにくい頑張り方があるようです。
その違いとは一体何でしょうか・・?
実は、僕自身が燃え尽き症候群で悩まされた経験があって、ものすごく集中して何かに取り組んでいたと思えば、ある時、突然のようにむなしくなってしまったり、やる気を失って、大袈裟に言えば、何をして生きてゆけばいいかわからなくなってしまうような、そんな感覚になってしまうことが度々ありました。
そんな繰り返しから抜け出すために僕は、燃え尽きない人がやっていることに共通点はないか?また、燃え尽きてしまいやすい人がやっていることに共通点はないか?
・・・と考えるようになりました。
もし、その違いがわかれば、燃え尽きなくて済むようになるのではないかと思ったからです。
そんなことを続けてゆく中で、燃え尽きない人がやっていることが少しづつわかるようになっていきました。
また、燃え尽きやすかった自分がやっていたことと燃え尽きない人達がやっていたことに決定的な違いを見つけたのです。
先程、燃え尽きてしまいやすい頑張り方と、燃え尽きにくい頑張り方があると書かせていただきました。
僕がやっていたことは明らかに前者の方でした。
その2つの頑張り方の違いは、自分の心の声を聞こうとしているか、それとも無視しているか・・・ということでした。
もっというと、燃え尽きてしまいやすい人は、自分の心の声を無視して頑張ろうとする方が多く、燃え尽きたりはしない人は、自分の心の声を聞こうとする方が多いようでした。
自分の素直な気持ちに従うと燃え尽きなくなる
でも自分の心の声とは何でしょうか?
人は、人の心の状態というのは、実は常に変わっていて、一定ではないようです。
心の状態は、上がったり、下がったりを繰り返しています。
ちょうど、体調にも良い時もあれば、何だか調子が悪い時があるのと似ているかも知れません。
心にも同じように調子の良い時とそうではない時もあるようです。
だから、どんなに集中力がある方であっても、または、どんなにやる気があっても、時には、ちょっと今日は・・という時もあるものだと思います。どんな人であっても。
今日はちょっとうまくいかないなとか、今日はちょっと気乗りしない、今日はちょっと、やる気が出ない・・・そんな時もあるものだと思うのです。
それは誰にとっても。
ここまではきっと、燃え尽きてしまいやすい人もそうではない人も同じだと思います。
決定的な違いはここからで、燃え尽き症候群で悩まされてしまうような人の場合は、この「今日はちょっと・・」という自分の状態を感じても、そこから目を背けることが多いようでした。
僕自身はまさにそのタイプで、今日はちょっとやる気が・・という時こそ、やる気を保っていたいから、さらに頑張ってしまう。
または、今日はちょっと・・と思ってしまう自分を受け入れたくないから、その心の状態を無視して、何とか頑張ることで、そこから抜け出そうとしてしまう。
そして、そうやって頑張ることで抜け出せることが実際にあって、だから、そういうことを続けてきました。
ところが、そんなことをもうずっと、それこそ何年も何年も続けていった時、これはもうある日突然のように、何か大事なものを失ってしまったかのようにやる気もモチベーションも、そして、興味さえ・・・失ってしまう。
これはあくまでも僕自身のケースですが、そんなことがありました。
少し話がそれましたが・・
燃え尽きてしまうことがない人、少ない人は、そんな時、その自分の状態、今日はちょっと・・という時であったり、今日は気乗りがしない時であったり、今日は何だかやる気が起きない・・・という時であったり、そういう自分の状態を素直に受け入れているようでした。
言い換えると、自分の素直な気持ちに従っているということなのかも知れません。
それは、例えば、僕みたいな人間からしてみたら、やる気がでないことを認めてしまうようなもので、少なくとも僕にとっては大きな勇気が必要なことでした。
だけど僕は、燃え尽きることを繰り返した挙句、自分の何かを変える必要が出てきて、そして、思い切って、そんな「今日はちょっと・・」という時の自分の言ってみれば、「心の声」を素直に受け入れてみようと、そう思ったのです。
そうやって恐る恐る、自分の素直な気持ちを否定せずに、受け入れてみると、とても楽になれました。
今までは、そんな風に思ってはだめだと思い込んでいたし、やる気がでないことを認めるなんてことは自分にとっては怖いことでした。
そうやって自分の素直な気持ちを受け入れてみると、面白いことに気づいたのです。
それは、当たり前だと言われてしまうことかも知れませんが、ただ、やる気が出ない自分を認めて、自分の素直な気持ちを受け入れてみると、不思議と、やる気というものは、その後少しして、「必ず戻ってくる」ということです。
それは毎回、必ず戻ってくるのです。
燃え尽きることを繰り返していた頃は、燃え尽きたらそれで終わりのようなもので、回復するには長い長い時間がかかっていました。
ところが、自分の素直な気持ち、「心の声」に耳を傾けて、受け入れてみると、やる気が戻ってくるのに以前のような長い長い時間がかかったりはしないことに気づきました。
そして、それは必ず戻ってくる。
つまり、自分の素直な気持ちに従えば、心の調子はまた自然と上がってきて、その自分の素直な気持ちを無視して頑張ると、自然と上がってくるはずの心の調子が上がって来なくなる。
そして、その自分の素直な気持ちを無視した分だけ・・・燃え尽きてしまった時、回復までの時間がかかってしまう。
大切なことは勇気を持って・・自分の素直な気持ちを受け入れてみるということなのだと、やっと、そう思えたのです。
もっとも、自分の素直な気持ちに従う、自分の心の声を聞くといっても、例えば、仕事ですと、「今日はやる気が出ませんから、休みます」・・・というわけにもいかないことが多いと思うのです。
ただ、休むことができないシチュエーションであっても、例えば、頑張る代わりに、工夫することはできないか?とそう考えることもできます。
やる気がでない時に頑張る代わりに、工夫をする、例えば、仕事であれば、少し違う仕事の方に力を入れてみたり。
また、仕事は楽しいことばかりではありませんが、ただ、楽しむ工夫をすることはできるかも知れません。
僕は何かに向かって一生懸命になっているのが好きでした。
それは今も変わっていません。
頑張ることはむしろ、素晴らしいことだと思ってます。
ただ、「頑張り方」というものについては考えたことがありませんでした。
それはほんの小さな違いなのかも知れませんが、ただ、その頑張り方を変えてからは、色々なことが大きく変わっていったのです。
自分の素直な気持ちに従うとその後にやる気や集中力が高まる
自分の素直な気持ちに従う・・・ということについてここまで書かせていただきました。
自分の素直な気持ち、自分の心の声に耳を傾けるということを続けてゆく中で、もう一つ、面白い発見がありました。
それは何かと言うと、自分の素直な気持ちに従って、例えば、休んだり、ちょっと違うことに一生懸命になったりしてみると、その後に、(場合によっては)以前よりもやる気が高まる・・・ということです。
例えば、やる気が起きないと思ってしまった何かを一旦休んでみたり、やらないでみたりします。
すると、不思議と、やる気はその後に自然と戻ってきます。
そして、その後に、やる気、モチベーションというのが、以前よりもほんの少しですが、高まっていることもあります。
それを繰り返していると、やる気であったり、またはそれを取り組むために必要な集中力も高まったりする。
または、その何かに対する好奇心も不思議と高まっていたり。
そんなこともあります。
こういったことは、特に燃え尽きてしまうような人に起こりやすいようです。
燃え尽きるということは、燃え尽きるまで頑張らないといけません。
そこまで熱意を持って何かに取り組むような人は、もともと、何かに集中するのが好きだったり、得意な人だと思うのです。
勿論、だからこそ・・燃え尽きやすいわけですが、ただ、その燃え尽きやすさがあるということは、言い換えると、集中力があるということでもあって、その集中力、またはその自分の強みを生かすには、時に自分の心の声を受け入れる勇気が必要なのかも知れません。
回復方法について
さて、ここで少し、実際に燃え尽きてしまった時にどうしたらいいか?・・ということについて見てゆきたいと思います。
燃え尽きてしまった時は、無気力感や虚無感に襲われることがあります。
こんな時、先程も書かせていただきましたが、そこから抜け出そうと一生懸命に頑張ってしまうのは・・・自分の素直な気持ちや心の声を無視していることになると思うんです。
燃え尽き症候群から回復するためには、その自分の素直な気持ち、または自分の心の声を受け取って、とにかく休むことが一番効果があります。
何もしないのもいいですし、思い切って今の自分とは違う環境に自分を置いてみるのもいいです。
例えば、仕事を休めないという場合は、週末だけそうしてもいいと思うんです。
普段は行かないようなお店やモールに買い物に行ったり、または、自然に触れてみたり。
神社に行ったり、海を見に行ったり、川の流れをただボーっと眺めてみたりするのもいいですし、森林の中を歩くのも心がす~っとしておすすめです。
僕自身、心に何かがたまってきたと感じた時は、森林の中を歩いたりしますが(森林浴は)、思った以上に効果があるようです。
また、森林の中ではなくても、ただ歩くだけでもいいですし、走れる方は走ってみるのもいいですし、または何か体を動かすことも、心にたまったものを捨てるにはとても効果がある方法だと思います。
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燃え尽きてしまうような方は何でも一生懸命に取り組むような人が多いと思いますが、自分が今までやってこなかったようなことに一生懸命になってみるのも燃え尽き症候群から回復するためには必要なことかも知れません。
燃え尽きてしまうと、むなしさを感じたり、時には・・生きる意味まで見失ってしまうことがあるかも知れません。
ですが、大事なことは、そういうことを感じる時間をできるだけなくしてゆくことだと思います。
これは以前にもお話させていただいたことがありましたが、心には容量があるようで、一定以上のことを超えて考えたりはできないようです。
ですから、できるだけ、むなしさであったり、生きることとか、意味とか、そういうものを今は考える余裕を心に与えないようにすることが大切なことなのかなと、思います。
「う・た・し」を実践してみる
もう一つ、十分に休みながら実践すると効果があることがあります。
それが「う・た・し」です。
これは、「うれしい」「楽しい」「幸せ」という3つの言葉の頭文字をとったもので、小林正観さんという方が何度もご自身の著書で語られた方法です。
この「う・た・し」の実践方法ですが、とても簡単です。
「うれしい」
「楽しい」
「幸せ」
・・・という言葉をそれぞれ唱えるだけ。
毎日100回位づつ口に出して言ってみます。「うれしい、楽しい、幸せ」・・・と。
人の頭の構造は面白いようにできていて、矛盾したものが嫌いです。
だから、嬉しくもないのに「嬉しい」なんて言葉を口にしたら、脳は混乱して、勝手に「嬉しい」理由を探してきて、つじつまを合わせようとします。
だから、「嬉しい」と100回言うと脳はその回数だけ「嬉しい理由を探してきてくれます。
「楽しい」と100回言うと今度は「楽しい」理由を100回探してきてくれる。
僕自身、実践して、そして、救われたのがこの「う・た・し」でした。
目的に「楽しむこと」が欠けていた
「う・た・し」は他にも僕の中で、あることを変えてくれました。
そのあることとは、何かをやる時の動機や目的です。
僕は以前は何かを証明するためにやっていたような気がします。
何かをするのであれば、何かしらの形にしなければならないと思っていたし、勝たなければならないと思っていました。
やるならそれなりのレベルにならなければ意味がない・・・という風に。
それがモチベーションになってものすごい勢いでやるのですが、それが叶わないと感じた時、自分が負けていると感じた時などは楽しめなくなってしまって、続けることが困難になっていったように思います。
以前の自分にとって、人から評価されることも重要でした。でもいつしか、世間から評価されることが目的になっていったのかも知れません。
そんな自分に欠けていたこと・・・それは楽しむことでした。
評価されること、勝つこと、何かを成し遂げることばかりに目がいってしまい、自分が楽しむということがどこかで抜けていたのです。
そんな僕が変わった1つのきっかけが、目的そのものを「楽しむこと」に変えて生きていこうと考え方を変えたことです。
誰かに証明することではなくて、他人と比較して勝つことでもなくて、楽しむことそのものを目標や目的に変えてしまったらどうなるだろう?と思ったのです。
今までは目的そのものが間違っていたのではないか・・・と。
例えば、何かを誰かに証明することであったり、何かを成し遂げることであったり。そういったことを目的にしたままだと、いずれまた燃え尽きてしまうような気がしたのです。
そうではなくて、楽しむことを目的にしてしまおう。
僕はある時からそう思って実践するようにしました。すると、不思議と、昔諦めてしまったようなことをまたやりたくなったりして、楽しみが少しづつ、増えていきました。
勿論、誰かと競い合うことも大切なことだと思うんです。そこから学ぶことも沢山あると思います。
仕事でも、勝負しなければならないことだってある。
だけど、自分はこの人生で何をしたいんだと思った時、誰かに勝ちたいわけじゃなくて、ただ、楽しい人生だったと言える人生にしたいんだと、ある時、そう思いました。
だから、その時から、そういう人生を目指してみようと、僕はそう思ったのです。