性格を変えることはできるか?考え方、捉え方を変える「捉え方道」
性格というと、持って生まれたもの、変えることができないもの・・・というイメージが強いのではないかなと・・思います。
ただ、世の中には、「変わったね」と言われる人って結構いらっしゃると思うんです。そんな人達は周りから見ても変わることができた人で。
その変わることができた人は性格を変えることができたのでしょうか?
もし、性格が生まれ持ったものであるなら、それは宿命のようなものということになってしまい、変えることがとても困難になるはずです。
性格はいつ手に入れたか?
ところが、この性格については後天的なものである・・・という見方をされている専門家が多くいます。
有名な心理学者にアルフレッド・アドラーという人物がいます。アドラーは、性格のことを「ライフスタイル」と呼んでいました。
そして、それは生まれつきのものではなく、簡単ではないけれど、変えることも可能だと考えていたようです。
アドラーはライフスタイル(性格)は2歳の時にはすでに認められていて、遅くとも5歳になるまでには「選択」されていると言います。(現代のアドラーの心理学では10歳前後には性格が選択されると考えることが多いようです)
子供は幼い頃にこう生きていこうという決断をすると言われています。それは「幼児決断」とも言われますが、アドラーもまた、自分の性格は自分で選んだものであると考えていました。
僕には何歳に性格を選んだかといったこともそういった詳しい心理学もわかりませんが・・・ただ僕は、人は変わることができると、どこかでそう信じています。
もっともっと小さなことからはじめる
僕は「性格を変える」なんて言うと、とてつもなく大きな挑戦のように聞えてしまっていました。
「いやいや・・無理でしょう・・」
以前の僕ならそう言っていたと思います。でも、マザー・テレサのこの言葉(※1)が示すように、いきなり性格を変えようとする必要はないのかも・・・知れません。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。(マザー・テレサ)
今まで何度かご紹介してきた言葉ですが・・・性格を変えるには、「習慣」を変えることであり、「習慣」を変えるには「行動」を変えること・・・そうやって最後までさかのぼってゆくと、「思考」を変えるということにたどり着きます。
つまり、思考を変えることができたら・・・最後の最後には性格にも変化が生まれることがあるかも知れない・・・そういうことだと思うんです。
性格なんて大きなものから変える必要はなくて、本当はもっともっと小さなこと、「思考」、つまり、何を考えるかということから変えてゆけばよいのかも知れません。
考え方、捉え方を変える「捉え方道」
ただ・・その考え方であったり、「思考」を変えることが難しいわけで・・。
僕はそれでも「考え方」「捉え方」を変えることで自分は変わることができると思っています。
でもそれは時間のかかること・・・です。
僕は何度も書かせていただいてきましたが、自分の何か1つのことを変えるのに3年かかるように思ってきました。
同じことを3年続けてみることで、面白いことに3年後にふと何かが変わる瞬間が来る・・・そんなことを繰り返し経験してきたのです。
でも、最初は何かを試しては「ダメだ・・」と諦め、また次を試してはまた諦めて、情けない自分が嫌になって・・・そんなことを繰り返していたように思います。
もっともその時は自分を変えようというより、ただ、この苦しみから逃れたい・・・その一心だったのかも知れません。
だけど、色々な考え方に出会って、それを少しだけ実践してみて、少しだけ気持ちが楽になって、そしたら、少しづつ続けてゆけるようになって。
「自分の考え方や捉え方を変える」
僕はそれは言ってみれば、「捉え方道」という道を歩いてゆくことなんだと考えるようにしています。
柔道や剣道、○○道・・・「道」とつくものは、そんなに簡単に極めたりはできないものだと思っています。
自分の性格や執着にしてもそうですが、それはずっと何年も何十年も持ち続けてきたものなら、そんなすぐに捨てられるわけはないと思いますし、「じゃあ明日から私、変わるね」・・・なんて言って本当に変わってしまわれたら、大変なことでもあります。
僕は、自分を変えられないという人と変えられた人の違いは続けたかやめたかだけの違いなんだと思うんです。
「捉え方道」・・・案外楽しかったりもします。
柔道や剣道と同じで、何かを習得しようとして、それに長い時間がかかってしまうこともあるけれど、でも、その過程で新しい自分に出会えたりします。
見えなかったものがふっと見えてきたり、ある時、苦しんでいたことが嘘のように苦しくなくなったり。
それが楽しいから、僕は「捉え方道」がずっと好きでいられるのかも・・知れません。