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褒められないと不安、やる気が出ない、頑張れない・・を変えるには?

褒められないと何だか自分がやったことがそれでよかったのかどうか不安になったり、褒められないとやる気がでなかったり、頑張れなかったり。

そんなこともあるかも知れません。

褒められることは誰でも嬉しいことだと思います。

褒められること、認められること、評価されることは、自分を肯定してもらえたということでもあって、だから、とても嬉しい。

ところが、その気持ち、褒められたい、認められたい、評価してもらいたい・・という気持ちが強くなり過ぎてしまうと、褒められないと不安になったり、または褒められないとやる気がでなかったり、頑張れなくなってしまうこともあります。

そうなってしまうと、自分がやる気を出すために他人の評価が必要になってしまい、それは、言い換えると、人に依存しなくてはならない状態でもあるかも知れません。

また、その状態になってしまうと、人に評価された時はとても嬉しくても、その反面、人に評価されなかった時や、マイナスの評価をされた時にひどく落ち込んだり、自分の気持ちが大きく揺れたり、または自分がやっていることに対する自信を失ってしまったりすることがあります。

もし、そんな状態に陥ってしまった時は、褒められたいという気持ちを少し、手放してみてもいいのかも知れません。

褒められたい気持ちを手放すと、不思議と、自分の中からやる気が湧いてくるようになります。

今回はそんなことも含めて、褒められないと、やる気が出ない自分を変えるということについて色々と見てゆきたいと思います。

褒められてやる気を出すことを続けると、ある「回路」が自分の中にできる

人に褒められてやる気を出す。

人に「よくやってくれてるね」と感謝されたり、「すごいですね」と認めてもらってそれでやる気を出す。

・・・ということを続けてゆくと、褒められないと、認めれらないとやる気が出ないという、ある種の「回路」のようなものが自分の中にできるそうです。

これを続けると、やる気を出すために、または物事を楽しむために、人の言葉や評価に依存し続けなくてはならなくなる、かも知れません。

褒められることは嬉しいものですが、ただ、それを自分のやる気の源にしようとすると、そんな風にして、いつの間にか自分の行動がある意味、他人にコントロールされてしまうような、そんな現象が起きることがあるようです。

褒められることを求めると、何故か褒められなくなる

冒頭でも書かせていただきましたが、褒められることは嬉しいことだと思います。

それは僕(筆者)にとっても同じことです。

ただ、褒められて嬉しいという気持ちから、褒められることを求めてしまうと、どうしても、褒めてもらえそうなことをしたくなることがあります。

つまり、褒めてくれそうな人の方に自分が寄っていってしまうというか、そんな褒めてくれそうな人達の好みに迎合(げいごう)してしまうというか。

ところが、褒めてくれそうな人に迎合することを続けていると、何故か、褒められなくなってゆくことがあります。

その理由はいくつかあって、例えば、人に褒められたくてやっていることは、自分が本当にやりたいこととは限りません。

褒められそうなことも、自分が心から好きなこととは限らないわけです。

褒められそうだからやること、自分が心からやりたいと思ってやること。

この2つを比較した場合、どちらがブレやすいか?というと、前者の方だと思います。

褒めらるためにやっていると、非常にブレやすくなってゆき、いつか、自分が本当にしたいことが何だったのかさえ、見えなくなってしまうことがあります。

それは何故かというと、人の好みというのは様々で、そしてまた、それは移ろうものだから、かも知れません。

ある人は褒めてくれても、ある人は、褒めてくれないかも知れません。また、以前はそのやり方で褒めてくれていたのに、時間が経つと、そのやり方ではもう褒めてくれなくなることもあるかも、知れません。

だから、人に褒められることをしようとすると、とてもブレやすい自分になることがあり、自分の軸となる何かを失ってしまうこともあります。

それを人は敏感に察知します。

だから、褒められることを求めてゆくと、何故か、いずれは褒められなくなってしまうのかも、知れません。

一方、誰かに褒められるためではなく、自分が好きだからやっていること、自分が心からやりたいと思ってやっていることは、人に褒められる機会は少なくなることもあるかも、知れませんが、ただ、自分の好みや自分がやりたいことであれば、自分でわかっていることが多いと思います。

だから、ブレることも少なくなります。

そして、自分が好きなことを貫いてゆくと、不思議と、同じようにブレることなく自分を応援してくれる、そんな自分を認めてくれる人が現れたりします。

その数はそんなに多くはないかも知れませんが、ただ、自分が好きなことを応援してくれる人がいるというのは、何にも代えがたい喜びになるかも、知れません。

褒められたい気持ちを手放すと、自分でモチベーションを作り出すようになる

冒頭で、褒められたい気持ちを手放すと、不思議と、自分の中からやる気が湧いてくる・・・と書かせていただきました。

これには根拠があって、実は、人に褒められることを考えずに何かをすると、人はどうも自分自身の中でモチベーションを作り出そうとすることが脳科学の研究でわかってきたそうです。

褒められたり、認められたら、嬉しい・・・というのは、究極のことを言うと、褒められた、評価されたという結果が嬉しいのであって、それはある意味条件付きの喜びなのかも知れません。

だから、人に褒められなかった時、認められなかった時、認められるという条件を失った時に一気にやる気を失ってしまったりすることがあります。

これは自分が嬉しいとか楽しいと思うために人の評価が条件になっているわけで・・・それは言い換えれば、人に自分の喜びを依存しているようなものなのかも知れません。

それよりもむしろ、人に褒められたり、認められたりしようとすることを一切抜きにして、何かをただ自分のためにやってみようと思った時、または、褒められるためではなく、自分がやりたいから、好きだから何かをやろうとした時、不思議と、自分の中からやる気が湧き上がって来るようになったりします。

そしてそれが喜びになることがある。

それは人に評価してもらわないといけないという条件が付いていない喜びです。

ただ自分のために、自分がやりたいから、自分が好きだから、やってみようと思って何かをはじめてみる・・・その時に人は自分自身でそれを続ける理由を探そうとするのかも知れません。

そして、何かを続ける理由は、自分の中だけで完結した方が、その何かを楽しみ続けることができたり、続けてゆくやる気のようなものが生まれるのかなと、思います。

もっとも、自分以外の人が関係してくることであれば、自分だけがよくてもダメな場合もあるかも知れません。

色々なケースがあると思うのですが、ただ、まず自分のために、自分が好きだから、自分がやりたいからという理由で何かをやってみてもいいのかも知れません。

そして、その後で、自分以外の人のことを考えてみても、遅くはないのかも、知れません。

「褒められると嬉しい」から「喜ばれると嬉しい」へと

褒められると嬉しい・・というのは多くの人が思うことではないかなと、思います。

ただ、その「褒められると嬉しい」という気持ちが強くなり過ぎると、褒められないと不安になったり、頑張れなくなったり、やる気が出なくなってしまうこともあるかも知れません。

そんな時のもう1つの考え方として、「褒められると嬉しい」から「喜ばれると嬉しい」にシフトしてゆく・・というやり方もあるように思います。

「褒められると嬉しい」・・の場合は、自分は受け取る側です

相手の誉め言葉、評価を自分が受け取っているわけです。

「喜ばれると嬉しい」・・・の場合は、自分は与える側です

自分がしたことに対して、人に喜んでもらえることが嬉しいわけですが、この場合、自分は基本的に受け取る側ではなく、与える側です。

モチベーション、やる気という意味では、受け取る側ではなく、与える側にまわった方が、長続きしやすいかも知れません。

受け取る側の場合、主導権はあくまでも相手です。相手に与えてもらうわけです。

与える側の場合は、主導権は自分です。自分が与えるわけですから。

もっとも、喜ばれるかどうかは、相手次第ですが、少なくとも主導権は自分にあります。

何かを続けるモチベーションを維持するためには、自分が主導権を握っていた方がどうもいいようです。

最後まで記事にお付き合いいただいて、ありがとうございました。