自己嫌悪に陥ることが多い自分を克服するには?
「何であんなことで怒っちゃったんだろ」
「あの態度はなかったなぁ・・」
・・・そんな風に後になって自己嫌悪に陥ることがあるかも、知れません。そして、後悔を繰り返す、ということも。
その時、そう感じてしまった自分を否定しない
何であんなことを言ってしまったのだろう・・・と思うこともあるかも知れません。
ただ、人は完璧ではないと思うんです。
だから、時にはイライラしたりすることもあるし、わかっているけど、つい余計なひと言を言いたくなることもあって。
あんなことを言わなければよかった・・・そう思うことだってあってもいいのかも知れません。
そして、そう感じてしまったのには、それなりの理由があったのだと思います。
そういう自分が感じてしまったイライラであったり、残念な思いであったり、悲しみであったり、そういう感情はあまり心地のよいものではないけれど、だけど、そういった感情も(今は)否定しない方がいいのかも知れません。
人はそうやって、時には怒りを感じたり、悲しくなったりすることで、自分を守っていると思うんです。
感情とはそうやって自分を守るために働いてくれるものだと思います。
それに、まず、自分の気持ちをありのままに認めて、自分を直視できなければ、後悔を繰り返す自分、自己嫌悪に陥る癖からは抜け出せないように思うんです。
そして、イライラしたことそのものを確かに悪かったなあ・・・と思うことはあっても、イライラしてしまったことそのものが自己嫌悪の問題ではないのかも、知れません。
つまり、イライラしたことだけを見て、そこをいくら努力して変えようと思っても変わらない・・・そういうことだと思うんです。
自己嫌悪の正体を見つけた
自己嫌悪によく陥る・・・という方はもしかしたら、もっとこうなりたい、こんな自分でいたい・・・という気持ちが心の奥にあって、それが人一倍強いのかも、知れません。
こうでありたいという思いの強さと自己嫌悪に陥る度合いは比例するようです。
その思いの強さが自己嫌悪を生み出しているのだとしたら、自己嫌悪に陥った時の自分をどうにかするよりも、それ以前の思いの部分に目を向けた方が、自己嫌悪というものを手放せるのかも知れません。
こうでありたい・・・そう思うことは誰にでもあることだと思います。
でも、みんながみんなひどい自己嫌悪に陥ったりはしません。
それは「こうでありたい」・・・というところで止めているから、かも知れません。
でも、自己嫌悪に癖のようにして陥っている方は、こうでありたいではなくて、「こうでなければならない」という思いを持っているのだと思うんです。
「こうでなければならない」という思いは、時に自分をひどく落ち込ませます。
それは、「こうでなければならない」と思った自分以外は許さない考え方だからです。
それが自己嫌悪を繰り返す原因になることがあります。
自分が言ったこと、したことに後になって後悔することがあるかも知れません。そして、次にそうならないようにしよう・・・と思っていても、また気づくと同じことをしてしまう。
するともっと自己嫌悪に陥ります。
だから、今度は当たり障りのないことを言うようになったり、極端に控えめになったりして。でもそうすることで自分を出すことができなくなったりして、もうどうしていいかわからなくなることもあるかも知れません。
うまくいかなかったのは、自分の言動や行動そのものを変えようとしたから・・・かも知れません。でも、それは原因ではなくて、ただの結果だったのかも・・
その後悔の気持ち(自己嫌悪感)を生み出していたのは、その行動や言動というより、その前にあった、自分に対する、「こうでなければならない」という強すぎる思いにあるのかも知れません。
それはお釈迦様がおっしゃった「執着」というものなのかも。(お釈迦様の教えと「執着」)
人は完璧ではないから、やっぱり間違いもするし、こうありたいと思ってもそれが叶わない時だってあるものだと思うんです。
それは誰もがそうで。
でもそこから自己嫌悪に陥る人とそうでない人の分かれ道は、そんな完璧にできない自分を否定するのか、ありのままに認めてしまうか・・・それだけの違いなのかも知れません。
間違ったこともする自分・・・そんな弱い自分をありのままに認めてあげることができてはじめて、人は後悔というものから立ち直ることができるようになるのかも知れないと僕はそう思っています。