いい人でいることに疲れたら。自分らしさの取り戻し方とは?
つい、いい人でいようとしてしまう・・・という方もいらっしゃるかも知れません。
いい人、いい友達、いい夫、いい妻、いい上司、いい部下・・・だけど、それを続けていって自分がどんどん疲れてきた時はどうしたらいいのでしょうか・・?
今回はそんなことについて考えてみたいと思います。
いい人をやめて○○の人を目指してみる
いい人でいようとしてしまう・・・そうしようとしてしまう背景には、そういう自分でなければ受け入れられないのではないか・・・という思いが隠れていることもあるかも知れません。
子供の頃なら「いい子」ということになるのでしょうか。
「そういう自分でいなければ、受けいれてはもらえない。ずっとそう思ってきたのかも知れないです」と話してくださった方がいました。
そういった原因は探っていけばいくらでも出てくるのかも知れませんが、そうやってゆくことで(原因探しをすることで)気持ちがどんどん落ち込んでしまう方もいらっしゃって、僕はあまりおすすめできないかなと・・・思っています。
だけど、原因は何であっても、今も尚、いい人を続けていて、それが自分を落ち込ませているのであれば・・・それは簡単なことではないけれど、だけど、捨てることはできると思うんです。
僕は良い夫や良い妻、良い友人、良い上司・・・を「そうしなければ」という思いで演じて苦しい思いをされるようであれば、「普通の○○」を目指してみてはどうかなと、思っています。
普通の○○ですから、例えば・・・普通の夫、普通の妻、普通の上司、普通の部下、などなど。
いい夫じゃなくていい、普通の夫でいよう・・・そういう思いは、よい夫でいなければならないと思っていた自分の気持ち(心)を少し、楽にしてくれます。
心が少し楽になれたら、笑っていられるかも・・知れません。
それが結局は相手にとってもいいこと・・・ということだってあると思うんです。
ただ、そう思えるようになるためには、自分を許してゆく・・・ということが必要なのかも知れません。
強くなくてもいい
人は大人になったら、そして、何かの肩書を得てからは(例えば、父親とか母親とか、上司とか、夫であったり、妻であったり・・)強くいなきゃだめだと思ってしまうのかも・・知れません。
そして、そういう強さを求められる場面も沢山あります。
でも、僕はそれでも、強くなくてもいいと思うんです。時には弱くたっていい。泣きたい夜だってあってもいいし、そんな自分も自分の一部で・・・それは決して悪いことじゃないと思っています。
人はどうも強さだけを持つことはできないようです。
強さがあれば、弱さもある・・・だから、自分の弱い部分を目の当たりにした時は、その裏に自分には強さがあるのだということだと思います。
強さだけを求めて、弱さを排除しようとする・・・それは自分を苦しめることになると思うんです。
自分らしく
普通の○○を続けていって、弱さも受け入れていくと・・・無理に演じていた部分が剥がれ落ちていって、「自分らしい」自分になれるかも・・知れません。
もっとも、ずっと自分にいい人でいることを求めて来た人はそんなことはなかなかできないものだと思いますが・・・
そんな時は難しいことは考えずに、「まぁいいか」と口にするだけでもそれが何かを変えてくれることがあります。
「まぁいいか」
そう言い続けただけでうつ病を治した方もいます。
何だかよくわからないけど、「まぁいいか」には何か特別な力があるのかも知れません。
自分は自分でいい・・・そう思えるためには、そう思わせなかった自分の考え方を1つ1つ許してゆく必要があるのかも知れません。
「こうでなければいけない」
その思いはそんな自分以外を許さない考え方です。だから、1つ1つ「まぁいいか」で許し続けてゆく・・・
それはゆっくりしか進まないプロセスです。
もぐら叩きのようなものかも・・知れません。どんどん出てきます。同じもぐらがまたひょっこり出てきたりする、それを見つけてポコッ、ポコッっとやっつけてゆく。
人が持っている考え方は何年も何十年も持ち続けてきたものなので、そんなすぐには直らなくて、だけど、それをとりあえず3年続けてゆくと・・・不思議と何かがふっと変わる瞬間が来る・・・少なくとも僕はそうやって続けてゆく中でそう実感しています。
ゆっくり、「まぁいいか」を続けて自分を許し続けてゆく。
その先にあるものがもっと楽しめている自分だったり、もしかしたら、「自分らしさ」であったりするのかも知れません。