頼られることと利用されることの違い。利用されやすい自分を変えるには
人に頼られると嬉しい。だけど、自分は利用されてしまうことの方が多いのかも知れない。
そんな風に感じてしまうこともあるかも知れません。
人のために、何かをやってあげることが好きで、それで相手が喜んでくれたら、自分も嬉しくなる。
だけど、中には、頼むだけ頼んで、自分が大変な時には何も助けてくれなかったり、相手の都合を散々考慮してきたのに、反対の立場になった時、こちらの都合は一切考えてもらえなかったり。
頼ってくれているんだという思いが、利用されていただけだったと、または、依存されていただけだったという思いに変わった時は、本当に残念な気持ちになってしまうかも知れません。
だけど、頼られることと利用されることの違いって何でしょうか?
どんな風にしたら、自分が頼られているのか、それとも、利用されているだけなのかがわかるのでしょう?
今回はその違いについてや見分け方、また、人によく利用されてしまうとしたら、それは何故か?利用されない人になるために必要なことや、頼られたいという思いが強すぎて、利用されてしまうことについても、書いてみたいと思います。
しっかりとした信頼関係があるか、ないか?
頼られることと利用されること、その意味を辞書で調べると・・
頼られる・・・人に信用、信頼されること
一方、
利用される・・・こちらの気持ちを顧みずに物事をされること、いいように使われる、使い捨てられる
・・という風に出てきます。
頼られるというのは、人に信頼されること。利用されるということは、信頼されているわけでは、ないのかも知れません。
この「信頼」が一つのキーワードになりそうです。
もっというと、しっかりとした信頼関係があるか?ないか?ということが頼られているか、利用されているかの一つの見分け方なのかなと、思います。
例えば、お互いにしっかりとした信頼関係がまだないような相手から、何かを頼まれたり、頼りにされることもあるかも知れません。ただ、それがもし何度も続くような場合は、利用されているのかも、知れません。
お互いにしっかりとした信頼関係があるか、ないか?
もし、それがない状態で何かを相手にやってあげ続けようとすること、例えば、話を聞いてあげ続けようとしたりすることは、利用されることにつながってしまうかも知れません。
自分に嘘をついていないか?
頼られることと、利用されることのもう一つの違いですが、自分に嘘をついているか、いないか?ということも大事なことになってくると思います。
本当は気が進まないのに、本当は何だか嫌だなと思いながら、断れずに相手のために何かをやっている、そんなことを続けている場合は、利用されているのかも、知れません。
少なくとも、自分が「嫌だな」と思っているのに、自分を犠牲にして何かを相手のためにしようとすると、無意識の間に「やってあげている」と感覚になってしまうことがあります。
その「やってあげている」という思いがあると、相手が自分から離れていった時、または、相手が自分のために何もしてくれなかった時に、自分はただ利用されただけだったのだと思ってしまうかも、知れません。
反対に、頼まれた時に喜んでやってあげたいと思える相手であれば、何かをしてあげても「やってあげた」という感覚にはならず、だから、「利用された」と思うこともないかも知れません。
自分の本当の気持ちに嘘をついて何かを誰かのためにしてあげ続けることは、利用されること、または、利用されたという思いにつながってしまうかも、知れません。
頼ってくれる人は「あなた」でなくてはならなくて、利用してくる人は「利用させてくれる人」が欲しい
頼ってくれる人は、多くの場合、「あなた」を尊重してくれます。
そのため、こちらの都合を考えてくれます。
だから、例えば、「あなた」が頼まれたことを断っても、嫌な顔をしたりはしない。この人でなくては、とあなたを大切にしてくれる(尊重してくれる)からです。
利用してくる人は、「あなた」を本当の意味で尊重することはありません。
だから、こちらの都合を考えてくれることは少ないかも、知れません。
そのため、頼まれたことを断ったりすると、態度が変わったり、嫌な顔をするかも、知れません。
頼ってくれる人は、「あなた」に興味があるので、本当のあなたを知りたいと思ってくれる人であることが多いと思います。
そういう人は、本当のあなたが知りたいので、「あなたはこんな人」という風に決めつけたりはしないことが多いように思います。
利用してくる人は、例えば、一方的に支えてもらいたい、一方的に癒してもらいたい、一方的に何かをしてもらいたい・・という、一方的な目的があって「あなた」に近づいてくることが多く、その一方的な目的を果たすことには興味があっても、あなたが本当はどんな人なのかを知ろうとはせず、むしろ、「あなたはこんな人」と決めつけてくることも多いかも知れません。
頼ってくれる人は、「あなた」ではなくてはならないと思っていることが多いようです。
利用してくる人は、本当の意味では「あなた」ではなくて、「利用させてくれる人」が欲しいだけ、ということが多いようです。
何故、利用されてしまうのか?利用されないためにできることは何?
もし、自分が利用されてしまうことが多いと思った時はどうしたらいいでしょうか?
何故、利用されてしまうことが多いのでしょうか?
利用されてしまう・・・という理由も人によって色々とあるかも知れません。
ただ、ここで1つ挙げるとすると、「自分を粗末に扱っているから」なのかも知れません。
利用してくる人というのは、言い換えると、自分を大事にしてくれない人です。
利用してくる人は、こちらの都合は考えてくれませんし、こちらの気持ちも考えてくれることも少ない。自分を大事にしてくれないわけです。
何故こんな人が寄ってくるのかというと、自分が自分を大事にしていないから、なのかも知れません。
自分を大事にしていない人には、自分を大事にしてくれない人が集まってくるからです。
自分を大事にせずに、自分が「なんか違うな・・」と思っても、自分を犠牲にして何かをやってあげることを続けていると、同じように自分のことを大事にしてくれない人が寄ってきます。
自分で自分の気持ちを無視しているから、自分の気持ちを無視してくる人が寄ってくるのかも、知れません。
じゃあ、どうしたらいいのか?
・・ということですが、もし、自分を大事にしてくれる人を引き寄せたいと思った時は、自分がまず、自分自身を大事にすることだと思います。
もし、自分の気持ちを大事にしてくれる人と出会いたいと思った時は、自分がまず、自分の気持ちを大事にすることだと思います。
例えば、「優しい人になろう。」
そう心に決めて実践してみたとします。それは素晴らしいことだと思います。
ただ、そうやって実践する時に気を付けなければいけないことがあります。
それは何かというと、優しい人になろうとすると2つのタイプの人が自分に引き寄せられるようにしてやってきます。
1つは、同じ優しさを持った人です。
類は友を呼ぶ・・と言いますが、人は自分と同じ波長を持った人といると心地いいと感じるものです。
だから、「優しい人になろう」と思って実践してゆくと、優しい人と出会えたりします。
ただ、もう1つ、自分の元にやってくるタイプの人がいます。
その優しさを、利用しようとする人です。
ここが優しい人になろうと思った時の正念場のようなもので、後者の利用しようとする人を見極める力、そして、自分の気持ちに嘘をつかない強さが必要になってくるのだと思います。
本当に優しい人は、人に対してだけではなく、自分自身に対しても優しい人なので、嫌なことは嫌ですと断れる人なのだと、思います。
頼られたいと強く思い過ぎてしまう場合は?
頼られたいという思いが強くなり過ぎて、その結果、人に利用されてしまう・・そんなこともあるかも知れません。
頼られたいと思うことって誰にでもあるものだと思います。
そして、それは悪いことじゃなくて、その思いが自分を強くしてくれたり、自分にモチベーションを与えてくれたりすることもあるように思います。
ただ、その頼られたいという思いが強くなり過ぎると、自分を見失って、そして、判断力が鈍ってしまって、結果的に誰かに利用されてしまうこともあるかも、知れません。
何故、頼られたい気持ちが強くなり過ぎてしまうのか?
・・ということですが、その裏に寂しさのようなものがあることもあるかも知れません。
誰かに頼られると、自分が必要とされているように思えて、自分の存在意義のようなものを感じて、寂しさをその瞬間は忘れられることがあるかも知れません。
自分の存在意義や存在価値がないと思ったら考えるたった1つのこと
ただ、それは一時だけのことであることが多く、実際には頼られても、本当の意味での寂しさはなくならないことが多いようです。
寂しさについてはまた、違う記事で詳しく書いてゆきたいと思いますが、ただ、寂しさというのは、辛いものではありますが、本当は悪いものではないのかも知れません。
寂しさは、自分に誰かとのつながりを求めさせてくれるものだと思うのです。
寂しさが自分の中にあるから、自分にとって大事な人と出会えたりします。寂しさがあるから、自分にとって大事な人とのつながりを大事にしようと思えます。
それでも寂しさが辛いからと、何か別のものでその寂しさを埋めようとすると、今度は虚しさがやってくることがあります。
だから、寂しさは、何か別のもので埋めようとするのではなく・・
寂しさは、自分にとって大事な人と出会うために、または、自分にとって大事な人とのつながりを大事にし続けてゆくために、生かしていってもいいのかも知れません。
寂しさにはそんな生かし方もあってもいいのではないかなと思います。