態度が悪い人、感じの悪い人を気にしない方法とは?
世の中には色々な人がいるもので、中には「ええ?!」というような態度で人と接してくるような人もいるかも、知れません。
態度が悪い人であったり、感じの悪い人であったり。
そして、そんな人の態度や自分に対する言動、扱い方のようなものに自分の気持ちを乱されてしまう・・・そんなこともあるかも知れません。
態度が悪い人であったり、感じの悪い人が気になる時があってもいいと思うのです。態度が悪い人が全く気にならないようには、ならなくてもいいと思います。
それは多くの人が気になるものだし、気になるからこそ、自分は気を付けようと思えるものだと思います。
ただ、気にし過ぎてしまったり、その出来事を引きずってしまったり、または自分の気持ちがひどく乱されてしまったりするのであれば、その気にし過ぎている部分に関しては、捨てることができたらいいのかも知れません。
今回はどうやったら、そんな、態度が悪い人であったり、感じの悪い人を気にし過ぎない自分になれるか?・・・ということについて考えてみたいと思います。
目次
感じの悪い人は「引き立て役」
世の中には色々な人がいるもので、「すごく感じのいい人だなぁ。」・・とこちらも笑顔になってしまうような人がいる一方で、その対極にいるような、感じの悪い人もいるかも知れません。
感じの悪い見知らぬ人もいれば、感じの悪い上司、感じの悪い店員さん、感じの悪い・・・色々な感じの悪い人がいるかも知れません。
そういう人を笑ってスルーできる人もいる一方で、そういう人に気持ちを乱されてしまう人もいるかも、知れません。
じゃあ、どうやったら、笑ってスルー・・とまではいかなくても、気にし過ぎてしまう自分を変えることができるでしょうか?
こんな時、感じの悪い人だな・・と深く考えてしまうと、気持ちを乱されてしまうかも、知れません。
相手をどう捉えるか、ということが自分の気持ちに直結してくるからです。
じゃあ、どうしたらいいか?ということですが、こんな時、感じの悪い人は、「引き立て役」なんだと思ってみます。
誰の「引き立て役」かといったら、感じのいい人の引き立て役です。
世の中の人、100%が感じのいい人だったら、「感じがいい」ということが当たり前になってしまって、感じのいい人が目立たなくなってしまうかも、知れません。
だけど、実際の世の中はそうではなくて、感じの悪い人もいるわけです。
そういう人がいるからこそ、次に感じのいい人に出会った時に、「あぁ、感じのいい人だなぁ(ニコニコ)」と笑顔になれるのかも、知れません。
そう思うと、感じのいい人にも、「引き立て役」が必要なのだと思います。
その引き立て役、嫌われ役を「ボランティアで」買って出てくれているのが、「感じの悪い人」なのだと思います。
だから、感じの悪い人、または態度が悪い人でもそうかも知れませんが、そういう人に出会ってしまったら、ガッカリしなくてもいいのかも、知れません。
その人に会ったことが、その一見するとアンラッキーな出会いが、次に感じのいい人と出会った時の喜びを高めてくれるから、感じのいい人に気づかせてくれるからです。
それに、感じの悪い人がいればいるほど、本当は自分にとってはチャンスだったりするのかも、知れません。
例えば、仕事でもそうですし、人間関係でもそうですが、感じの悪い人がいるからこそ、感じのいい人が注目されたり、好かれたりするのだと思うのです。
だから、相手を反面教師にして、自分はそうじゃなくて、人に優しくいたい、思いやりを大事にしたい・・そう思って、その相手と反対のことをすれば、自分に良いことが起こる、かも知れません。
感じの悪い人がいることは、むしろ自分にとってはチャンスなのだと思います。
雑に扱われても、それは自分の問題じゃない
態度の悪い人に嫌な気持ちにさせられるのは、自分を雑に扱われたような気持ちになるから・・・でもあるのかも知れません。
態度が悪いというのは、(特に嫌な気持ちになってしまう場合は)自分に対して、態度が悪いのであって、それは、自分を雑に扱われたようなもの、大袈裟に言えば、自分の存在を無視されたようなもので、だから、嫌な気持ちになったりする・・のかも知れません。
また、直接、自分に関係しない場合でも、次にそんな人と出会ってしまって、自分が、または自分の大事な人が、雑に扱われてしまうことを不安に感じてしまって、話を聞いただけで嫌な気持ちになる・・・そんなこともあるかも知れません。
もし、そんなことがあれば、相手と自分の問題とを切り離して考えてみるのも1つの(嫌な気持ちを持ち続けないための)方法だと思います。
例えば、実際に雑に扱われたとしても、それは相手の人間性を示しているだけであって、それによって、「自分が変わるわけではない」と思うのです。
自分がどう扱われても、自分は変わったりはしません。
それはただ、相手の人間性、人としての在り方を示しているだけなのだと思います。
そしてそれは、「相手の問題」なのだと思います。
相手の問題を自分の問題だと取り違えてしまうと、気持ちは乱されてしまいますが、相手の問題だと考えて、問題を切り離してしまうと、そんな態度の悪い人に出会ってしまって、相手に対して残念には思っても、嫌な気持ちをずっと引きずってしまう・・なんてことは少なくなってゆくかも知れません。
また、自分の問題ではないと思えるようになってくると、相手には何か事情があるのかも知れないなと思えてくることもあるかも知れません。
勿論、その事情をわかってあげる必要はないと思いますが、ただ、「何か事情があるのだろう」と思っただけで、気持ちは楽になれるかも、知れません。
中には、自分にはそのつもりがなくても、感じが悪いと言われて困っている人もいたりします。
また、中には、「知らないだけ」というケースもあるかも知れません。
相手の態度が自分に向けられたものだと思えば、嫌な気持ちになりますが、相手は「知らないだけ」なんだと思うと、嫌な気持ちにはならないで済むかも、知れません。
また、例えば、態度が悪い人とは、同じ目線にはならずに、それよりも自分が上に行くことで、そういった人のことが気にならなくなることがあるかも知れません。
子供が言うこと、やることに嫌な気持ちにならないのは、同じ目線に立っていないから、だと思うのです。
例えば、
「あまりにも非常識だ!」
と思った時は、同じ目線にならないで、自分が相手よりも大人になって、子供が相手の時と同じように相手よりも上に行こうとすることで、嫌な気持ちを手放せることがあるかも知れません。
いずれにしても、自分の問題だと捉えずに、相手の問題、相手の事情と考えてみると、他人のことで悩むことも少しづつ減ってゆくと思います。
人が自分にどう接してくるかが過剰に気になる時は?
先程の自分を雑に扱われたと感じて、気持ちを乱されてしまう・・ということですが、人が自分にどう接してくるか・・ということは誰でも多少なりとも気になることではあると思うのです。
ただ、それを過剰に気にするようになったり、相手のちょっとした態度でも自分の気持ちが大きく乱されてしまうということであれば、それは自分の中に何か原因があるのかも知れません。
でも、何が原因なのでしょう。
人が自分にどう接してくるか、人が自分をどう扱うかが気になり過ぎてしまう理由というのも1つだけではないと思うのですが、例えば、自分の中にある「ねばならない」という自分に課しているものであったり、執着のようなものが関係していることもあるかも知れません。
「人とは笑顔で接しなければならない」と毎回自分に笑顔で人と接することを課していると、笑顔で接してこない人が許せなくなってしまうことがあります。
人は自分に許していないものを人に対して許すことができないからです。
もっとも、人と笑顔で接しようとすることは素晴らしいことだと思います。
ただ、その笑顔で接しなければ「ならない」という、1つのことしか自分を許さないやり方から、「笑顔で接することができたらいい。だけど、できないことがあってもいい」
・・と自分をある意味少し許してみると、同じように、笑顔で接してこない人のことも許すことができるようになることがあります。
そういう意味では、自分を許すということは、人を許すということでもあるのかも知れません。
もう1つ、「自己肯定感」もそういった対人関係では大きく関係してくることがあるようです。
自己肯定感があれば、自分は自分のままでいいと思えているわけですから、人の自分に対する扱い方や態度が悪くても、それを例えば、自分に対する否定という風には捉えずに済んだり、相手の言動を自分の問題として受け取らなくて済むかも知れません。
一方、自己肯定感が低い場合は、相手の自分に対する態度であったり、自分に対する接し方、扱い方というものが重要になってくるかも、知れません。
自己肯定感が低い場合、時に、人との関係の中で自分を肯定してゆく必要があって、他人と比べて勝たなければならないと思ってしまったり、または、他人が自分をどう思うか(今回の場合は、どう接してくるか)ということが自分にとって大事なことになってしまうこともあります。
自己肯定感について、また、自己肯定感を高めるためにできることについては、自己肯定感が低い。原因と3つの高める方法とは?でもう少し詳しくご紹介したいと思います。