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他人本位でなく自分本位で生きる、自分の評価は自分で決める

人の言葉や態度に傷つけられたり、なんで自分がこんな扱いを受けなければならないんだと思うことがあるかも・・知れません。

「こんな扱いをされた」、「こんなことを言われました」と傷ついていらっしゃる方もいらして・・・誰かの言葉や態度を残念に思うはやっぱり誰にでもあるものだと思うんです。

だけど、残念に思うことはあっても、傷ついてしまう必要は本当はないのかも・・知れません。

それは、他人に何を言われても、どんな風に自分を扱われたとしても、どのように評価されたとしても・・・自分は変わったりはしないと思うから・・です。

他人にどう言われたり、思われたりしても、自分は変わるわけじゃない。
僕はそう思うんです。

他人の言動をネガティブに捉える人とそうでない人の違い

もし、誰かの自分に対する言葉であったり、態度、自分に対しての評価・・・などに自分の気持ちが左右されたり、動揺してしまうことがあるならば・・・そこには何かしらの原因がありそうな気がします。

それは何かというと、自分というものの評価を他人に委ねていること・・・なのかも知れません。それは他人本位で生きるということ、他人の評価に依存して生きることになってしまうと・・・思うんです。

他人の言動の捉え方は人によって違うものです。

ある人の言葉をマイナスに受け取る人もいれば、それを「おかしなことを言う人だなあ」・・・と個人的に受け取らない方もいたりするかも知れません。

他人の言動をネガティブに捉える人は、自分自身に対する評価というものが、もしかしたら、低いか、もしくは、他人から受け取るものが自分がどんな人間なのかを決めると思われているのかも・・・知れません。

自分は変わらない

僕がまさにそんな人でした。

ずっと、人からの評価が自分を決める・・・そう思っていました。だから、評価されない自分はダメな自分であったり、価値のない人間に思えたこともありました。

だからこそ、人からの言葉やちょっとしたことにも心が揺れたり、気持ちが左右されることがあって・・。だけど、それは自分という人間の価値のようなものを、他人の評価に委ねていたからかも・・知れません。

でも、それをやってしまうと、自ずと他人の言動に傷つきやすくなると、ある時気づきました。

今、僕はもっと自分本位に生きてもいいのかなと思っています。

自分本位に生きることは、わがままに生きるとか、自分勝手に振る舞うということではなくて、自分の評価は自分で決めるという生き方なんだと思うんです。

思いやりのない人に自分を傷つけられるようなことを言われたりすることがあるかも知れません。

だけど、それは相手の心の在り方を示しているだけであって、相手の人間性を示しているだけであって、自分の本当の評価とは無関係なのだと思うんです。

他人に何を言われても、どんな態度をとられようが、どんな扱いをされようが、自分は変わったりはしない。

自分がどんな人間なのか、それは自分本位で生きるなら、自分が決めることなのだと・・・思うんです。

だから、他人が何を言おうと、何をしようと、自分にどんな評価をしてきても、どんな風に扱ってきても、自分は変わらない。

サイトでよく書かせていただいていることと矛盾するかも・・知れませんが、人の心というのは本当は傷つかないものなのかも・・知れません。

でも傷つくのだとしたら、それは僕自身の捉え方や受け取り方に原因があるのだと思ったんです。他人は本当は関係なかったのだと・・・思ったんです。

他人に何を言われても、自分は変わらない。

その言葉が僕を楽にしてくれました。他人や他人との関係や比較の中に自分の評価を求めない生き方は楽しい生き方ではないかなと・・・僕は思いました。