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人と一緒にいると疲れるのは何故?

人と一緒にいると疲れる・・・そういう時があるかも知れません。例えば、友人であったり、彼や彼女と一緒にいるとどこか疲れてしまう・・。

だけど、一人がいいかというと、それも寂しかったりして・・。

勿論、一緒にいて疲れてしまう相手というのも中にはいるものだと思います。でも特定の人だけではなくて、そんなことを頻繁に感じているのだとしたら、そこにはもしかしたら、ある理由が隠れているのかも・・知れません。

今回お話させていただく内容は自分を苦しめる考え方を変える方法、感情は思考の後についてくるの続編のような形になります。

自分を動かしている「あるもの」?

同じように一緒にいる時でも、例えば、友人といると疲れるけど、相手が家族だったりするとそこまで疲れない・・・という方もいらっしゃると思います。

その違いがわかれば、人と一緒にいても疲れることは減ってくるかも知れません。

何が違うのか?そう考えていくと、勿論、家族でいる時は素の自分でいられるから、気を使わないで済むから・・・だとは思います。

じゃあ、友人や彼氏・彼女に対しても素の自分でいたり、気を使わないようにすれば、疲れないことになります・・・でも、そう思ってもそれができる人ってなかなかいないと思うんです。

何故、わかっているのにできないか・・・?
それには理由があると思うんです。

その理由とは、自分を動かしている「あるもの」です。

それは専門的な言葉だと、「ビリーフ」などと呼ばれるものです。日本語にすると信念であったり、もしくは、思い込みともいえるのかも知れません。

この「ビリーフ」というのは、ほぼすべての人が持っているものであり、それに無意識のうちに従うようにして人は行動したり、考えたりします。そして、それが自分の感じ方を決めている・・・のだと思います。

それは幼い頃に、例えば、親との関係の中で知らずに身に付けてしまうことが多いようですが、大人になってから身に付けてしまうこともあります。

気を使わないようにしよう・・・そう思ってもできなかったのは、自分の中の「ビリーフ」がそうさせなかったから。

素の自分でいよう・・・そう思ってもできなかったのも、やっぱり自分の中の「ビリーフ」がそうさせてくれなかったから・・です。

「ビリーフ」を変える

この自分の中にあるビリーフは大きく2つに分けることができると思うんです。それは、「自分を支えてくれるもの」と「自分を縛り付けるもの」です。

この中で自分を縛り付けるものはイラショナル・ビリーフなどと専門的には呼ばれています。「イラショナル・ビリーフ」は日本語にすると、「非合理的な信念」という風に訳すことができます。

もっと簡単に言うと、「イラショナル・ビリーフ」は自分を嫌な気分にさせる思い込みであったり、偏った考え方であったり、柔軟性に欠ける考え方です。

人と一緒にいて疲れる・・・例えば、相手が友人だったとします。疲れてしまうのには、そうさせる「ビリーフ」があって、そして、それは自分が嫌な気分になっているので「イラショナル・ビリーフ」ということになります。

これを見つけるのが問題解決の第一歩になりそうです。

「イラショナル・ビリーフ」の見つけ方

自分を苦しめる思い込み、「イラショナル・ビリーフ」を見つけるのは案外簡単だったりします。

先ほどの友達と一緒にいると疲れる・・・で早速やってみたいと思います。

「イラショナル・ビリーフ」を見つけるのには、自分の中にある柔軟性に欠ける考え方を見つけてゆきます。

それには、自分の中にある「こうでなければならない」という考え方を見つけます。

友人と付き合う上で、もしくは一緒にいる時に自分が「こうでなければならない」と思っていることは何だろう・・・?と考えてみます。

嫌な気分になっている、疲れる・・・ということは、必ず自分の中にその「こうでなければならない」という考え方が1つ以上あるはずです。

すると・・・

・友達の話に合わせなければならない
・自分勝手に振る舞ってはならない
・自分の話よりも相手の話を聞かなければならない
・自分の思ったことばかりを話してはいけない

・・・といった「こうでなければならない」という考え方が思い浮かんできたとします。

これが「イラショナル・ビリーフ」だと言えそうです。何故なら、上記のどれにも「ねばならない」と最後に付いているからです。

この「ねばならない」という考え方の後には必ず、何かもう1つの考え方がもれなくついてきます。

それが、「じゃないと・・・」という考え方です。

まとめると・・・

「こうでなければならない」 → 「じゃないと・・・」

という流れに必ずなっているようです。この場合は例えば・・・

「自分の思ったことばかりを話してはいけない」

         ↓

「じゃないと、相手に嫌われてしまう」

例えば、そんな風な流れになっているかも知れません。

この最後の「じゃないと・・・」という思いがあるために、素の自分でいようと思ってもできなかったのかも知れませんし、気を使わないようにしようと思ってもそれがなかなかできなかったのかも・・・知れません。

人と一緒にいても疲れない自分になるには・・・その自分を縛っているものを何とかする必要がありそうです。

少しづつ捨ててゆく

「こうでなくてはならない」という考え方が自分を縛り付けるのは、自分ができることを限定してしまっているから・・・です。

「自分の思ったことばかりを話してはいけない」

・・・という考え方は、自分が思ったことばかりを友達に話すことを禁じています。自分を縛っているわけですね。

自分を縛って身動きが取れないから、疲れるのだと思います。

その「こうでなければならない」というのはでも、「非合理的な信念」でした。
でも何故、非合理的だと言えるのでしょうか・・?

それは、片方しか許していないから・・・だと思うんです。人がもし完璧な機械であったなら、それは問題がないかも・・知れません。

でも、人は必ず自分の中に相反する思いを持っていたりするものです。

人の話を聞いてあげたい・・・そういう気持ちがあるし、でも、自分の話も聞いてほしいとも思っています。そして、人は完璧ではないので、気分というものに波もあるし、調子も変動するものです。

時には、自分の話を誰かにとにかく聞いてほしくなることがあると思うんです。そして、それは誰もがそうなのであって、悪いことでもなんでもないと思うんです。

むしろ、そうやって自分が話したいことを思い切り話して、聞いてもらうことで気持ちがすっきりして、その後で、「あ~聞いてもらえてありがたかったなあ」と思えるものだし、「今度は私が聞いてあげよっ」と相手に対しての優しさを手に入れることができる。

人は完璧には生きられないのだと思います。

だからこそ、「こうでなければならない」という考え方は自分をどんどん追いつめて、苦しめます。

人と一緒にいて疲れる・・・そう思った時は、自分にはどんな「イラショナル・ビリーフ」があるのだろう?と思ってみると、自分を縛り付けていたものが見えてくることがあります。

その考え方が非合理的であると気づくことで、自分から少しづつ捨ててゆこうと思えるのかも、知れません。

それは言い替えると、自分を時には許してあげるということなんだと思います。人といて疲れる本当の理由は、もしかしたら、自分の中にあったのかも・・・知れません。