合わない人と離れるという選択肢。うまくいかない人間関係ばかり気になる理由も
自分とは合わない。
そう感じてしまう相手もいるかも知れません。
それが自分とは関係ない他人であれば、それほど問題にはならないかも知れませんが、合わないと感じている相手が例えば、自分の友達だったり、または自分の親や親戚だったりすると、それが大きな悩みに発展してしまうことがあります。
そんな時はどうしたらいいでしょうか?
合わない相手とどうにかして付き合ってゆく方がいいのか、それとも離れてみた方がいいのか。
今回はそんなことについて考えてみたいと思います。
また、合わない人であったり、うまくいかない人間関係ばかりが気になってしまって、自分にとって大事な人、大事な関係に使うエネルギーが残っていない・・なんてこともあるかも知れませんが、うまくいかない人間関係ばかりが気になってしまう理由についても見てゆきたいと思います。
目次
合わない人と離れることは悪いことじゃない
例えば、ある友人と合わない、または合わなくなったと思った時、その悩みを解決する方法は2つあると思うんです。
1つは、合わない人との付き合い方を学んで、例えば、相手のいいところを見るようにするといった工夫をしながら、関係を改善してゆく方法。
もう1つは、その合わない人から離れるという方法です。
どちらがいいか?というのは、その人の状況によっても変わってくると思うので、どちらがいいとは言えないかも知れません。
ただ、この2つの選択肢がある場合、「離れる」という選択をするのは、悪いことじゃないと思います。
勿論、自分が成長することで、合わないという気持ちを克服できたり、合わないと感じなくなることもあります。
ただ、合わないものは合わない、でもいいと思うんですね。
ある方が、人間関係には自分のいいところを引き出してくれる関係と、自分の悪いところを引き出してしまう関係があるとおっしゃっていましたが、合わない人との関係は、自分の悪いところを引き出してしまう関係と言えるかも知れません。
そういう人、関係からは離れてしまうというのも1つの方法かなと思います。
ただ、例えば、相手が自分の友人だったりすると、離れるという選択をすることに躊躇してしまうこともあるかも知れません。
また、例えば、その相手が自分の親だったりした場合は、離れる、距離を置くということに罪悪感のようなものを感じてしまうかも知れません。
ただ僕は、先ほどの自分の悪いところを引き出す相手の中で、離れてはいけない相手はいないと思っています。
それがたとえ、自分の母親や父親であってもです。
以前にも紹介しましたが、メンタリング・コーチで、心の持ち方について多数の著書を出版されている鈴木真奈美さんは、自身の著書の中でこんな風に語っています。
「息の合う親や子供に恵まれるのは、宝くじに当たるほどの確率といわれています。
たとえ親子であっても、それぞれの役割や世界があるので、合わなくても、なんら不思議なことはないでしょう。
距離をとってもいい、ということです。」
(出典:「幸せな人だけが知っているシンプルな生き方」 p.114 鈴木真奈美著)
正しい方を選択しようとすると、離れられなくなったりします。嫌で嫌で、本当は離れたくても、です。
そんな時は、自分が笑顔でいられる方を選択しようとしてみてもいいのかも知れません。
うまくいかない人間関係ばかり気になって離れられない理由は何?
例えば、合わない人との関係のように、うまくいかない人間関係ばかりが気になったり、離れればいいと思うのに、なかなか離れられない・・・そんなこともあるかも知れません。
これは何故なのか?
ということですが、その理由の1つに自分には価値がないという「無価値感」が関係していることもあるようです。
合わない人であったり、一緒にいるとマイナスな気持ちになってしまう相手の中には、何らかの形で自分の自己価値感、または自己重要感(=自分は重要な存在なんだと感じる心)を引き下げる人、場合によってはそういった大切なものを自分から奪ってゆく人もいるかも知れません。
一緒にいて心地いい人というのは、その反対で自分の自己価値であったり、自己重要感を高めてくれる人であることが多く、そういう人とは合うと感じることが多いようです。
合わない人との関係のように、うまくいかない人間関係ばかりが気になったり、そういった人から離れられない理由・・・に戻りますが、自分には価値がないという「無価値感」のようなものがそこに関係していることもあるようです。
無価値感が自分の中にあって、それを強く感じている時は、「自分には価値がない」と感じさせる何かがすごく怖くなったりします。
ただでさえ、「自分には価値がない」と思っているのに、さらに「自分には価値がない」と思わせるようなことを言われたり、されたりすると、少ししかない自己価値感が枯渇してしまいます。
そうなると、本当に自分には価値がないと思えてきて、ひどく悲しい気持ちになったりする。「自分には価値がない」と、そう思うことは本当に辛いことだと思うんです。
だから、例えば、自分の自己価値や自己重要感を下げるような相手に対しては、どうにかしたくなったりします。
そうじゃないと相手に証明したくなるというか、わからせたくなってしまって、結果的にその相手との関係に執着してしまうというか。
このような場合は、自己価値感、もしくは自己重要感を自分で高めることができるようになると、そういった相手からすっと離れられるようになることがあります。
自己価値感や自己重要感については下記の記事で詳しくご紹介していますので、よかったらそちらを参照ください。
無理をして会うことが誠実な対応とは限らない
人と真摯に向き合おうとする人の中には、会う度にマイナスな気持ちになっているにも関わらず、その相手と会うことをやめようとしない人もいるかも知れません。
それは、相手が例えば、自分の友人であったり、家族や親戚だったりする場合は、それが、会いたくなくても会うということが誠実な対応だと、それが正しいことだと思っているから・・かも知れません。
そういう僕自身、以前は「離れる」という選択肢は自分の中にはありませんでした。特に相手が自分の親であったり、親戚、もしくは以前の親友であったりした場合は。
だけど、マイナスな感情を抱きながら、無理をして付き合い続けるのは、必ずしも誠実な向き合い方とは言えないかも知れないなと、ある時から思うようになりました。
むしろ、そんな時はすっと相手から離れることの方が自分だけではなくて、結局は相手にとってもいいことなのではないか、と。
以前は、断らないことが相手に対する誠実さだと思っていました。今は、相手に対して誠実でいるために断ることもあります。
もっとも、断り方というのはあると思うんですね。
相手を傷つけないような上手な断り方というのもあると思うんです。
そのために、時には嘘をつくことも必要かも知れません。でも、それでは不誠実なのではないか・・と以前はそう考えていたのですが、今はその嘘も方便だと、相手を傷つけないための嘘は不誠実なのではなくて、一つの優しさの形なのではないかと、そう思っています。
自由に生きるとは、孤独を恐れないということ
合わない人であったり、マイナスな気持ちになってしまう人からは、たとえそれが自分に近い関係の人であっても、離れてみる。執着しない。
そんな自由な生き方があってもいいのかも知れません。
もっとも、「自由に生きる」なんていうと、とても聞こえがいいですが、自由に生きるとは、孤独を恐れないということでもあるのかなと、思います。
一緒にいてプラスの気持ちになれる人とだけ会うことにした場合、人と会う頻度は落ちるわけで、その中で(物理的なつながりを一部失うことで)孤独を感じてしまうこともあるかも知れません。
だから、自分の気持ちに素直になって、自由に生きるためには、そんな孤独を恐れない覚悟が必要なのかも。だからこそ、人と離れるという選択をすることは難しいのかも知れません。
ただ、たくさんの人に囲まれていても孤独を感じることもあります。
本当の孤独というのは、一人でいることで感じるものではなくて、誰かと心のつながりを感じられない時に感じるものなのかも知れません。
合わない人とは、心のつながりを感じられないことが多いと思うんですね。もしかしたら、それが合わないと感じる一番の理由なのかも知れない。
だから、そういう意味では、合わない人と無理に付き合ってゆこうとすればするほど、人は孤独を感じてしまうのかも知れません。
そう考えてみたら・・自由に生きることはむしろ、孤独を手放すことにつながってゆくのかも知れませんね。